コルカタという異界 --- 中村 伊知哉

アゴラ

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まもなく2014年を迎えるという夜中。天空にはぽっこりと黄色い満月。窓の下が騒がしい。黄色とピンクのサリーをまとった女性がとっくみあいをしている。全く気にとめず、人力車引きがヘトヘトに座り込んでいる。タクシーに仕事を奪われ、やるせない。明日の露天を開く商売道具か、骨と皮だけの男が、体よりも大きな袋を頭のてっぺんに担いで歩いている。脇を通り抜ける犬、犬、犬。それよりもけたたましく人をかき分けるバイクと自転車。日中、レバーをぐるぐる回してトウキビを潰し、ジュースをふるまっていたおやじが店じまいだ。この夜更けに何が始まるんだろう、激しいリズムで太鼓をかき鳴らす隊列がやってきた。いつまでも騒然としていて、眠れない。


コルカタ。かつてのカルカッタ。人口にしてインド第4の都市。1911年にデリーに遷都されるまで、長く都でした。経済力で第7位といいますから、インドの京都ですね。しかし、均整の取れた優雅さとは対極にあります。インドで最も雑然とし、得体の知れないエネルギーを発散する街。覚悟なく訪れた日本人観光客が、空港からの光景におののいて、宿から一歩も出られなかったという話も聞きます。多様な顔を持ち、十人に聞けば十人が違う印象を語るともいいます。

ぼくも着いて早々にあきらめました。この街を表現する力は、ぼくにはありません。初めての街ではいつも、目線を落として観察し、その地を刈り取り、共有しようと努めるのですが、ここはいけません。人種、宗教、階層、民俗、経済。熱量が、輝度が高すぎます。石のような連続パンチです。ガツンと来る想像はしていました。でも、瞬時に負けを認めました。

ここに来るまで、人生で最もガツンと来たのは、大学一年生、18の時に踏み入れた大阪・新世界。浮浪者がうつろに徘徊し、寝そべり、異臭が立ちこめる中、ジャンジャン横丁では酔っ払った老女が暴れている、その猥雑なパワーに打ちのめされました。以来、強烈な異界に、蛾が灯火に引き寄せられるように迷い込んでしまうのです。

これまで、ああ負けた、と思ったセビリア、フェズ、イスタンブールは、事前の想像が足りなかったのが敗因。ガツンと来るぞと身構えつつ耐えたのは、ブエノスアイレス、ナポリ、西安。でも今回は、十分に想像し、存分にクラウチングスタイルを取っていたのに、あっさりと白旗を掲げます。出くわしたものを素直に受け止めていくにとどめます。

実は、ここだけは、この歳になるまで、避けていました。若いうちに踏み込めば、必ずハマる、ぼくのような貧弱な日和見には毒が強い。でも、自分に残る時間もそう多くなくなったと覚悟し、宿題を果たすことにしたわけです。そうしたら、案の定。

まぁ想像していたといいましても、ぼくのインド知識など浅いもんでして。60年代はインド人もびっくり芦屋雁之助が飛び上がる特製ヱスビーカレー、明治キンケイインドカレー、メタルインドカレーなどカレー臭ばかりでしたし、70年代は死ね死ね団と戦うレインボーマンの師匠ダイバ・ダッタ、上田馬之助と暴れたタイガー・ジェット・シン、ジョージ・ハリスンの師匠サイババであり、そのまま「ムトゥ踊るマハラジャ」に至るわけですうさんくさいわけです。だから、京都の産んだ偉人:チュートリアルがM1王者に輝いたネタで、自転車のチリンチリンを盗まれ、「何かを求めてインドへ行ったよ」というのも共感を呼ぶのです。

東京人が「だるまさんがころんだ」という場面、京都人は「ぼんさんが屁をこいた」と数えますが、飯塚出身の藤井君が「インディアンのかばやき」と数えたので驚いたことがありますが、これはインド人ではなく北米先住民のことでしょうか。

むかし、少年ナイフの練習の帰り、だから30年前ですね、道頓堀で初めて本格的なインド料理屋に入りました。これまで喰うてたインドカレーと全然ちゃうやん。インド観を改めんといかんか。すると、狭いホールをかいがいしくサーブしていた若いインド人っぽいウェイターが、ガシャンと転んで、カレーやらナンやら全てを床にぶちまけてしまいました。どないすんにゃろ。数秒、ぢっと転んでいた彼、エイトカウントあたりでムクッと起きたかと思いきや、脱兎のごとく走り出し、バーン!扉を開けて道頓堀の夜に消えていった。カーネルサンダースさんが阪神優勝で沈む前の道頓堀、まだかなりくさかった。走れ、走れ、走り抜け猟奇王。くっさい街を。きっとそのまま走り抜いて、今ごろ故郷の木陰でヒザを抱えて日向ぼっこをしています。

奥が深い。「2つの病気にかかった偉いひとは誰でしょう。」小学一年生のころ、チョコレートのパッケージについてたなぞなぞの答えの欄に、「ガンジー」とあり、偉い人がいたことを学びました。その後、学校では、東京裁判で日本の無罪を主張したパール判事のことや、日本軍とともにインド国民軍を作ったチャンドラ・ボースのことも学びました。チャンドラ・ボースはコルカタの空港名になっています。さすがにインドは多様で、簡単に像を結ばせません。だからいいんです。練り歩くだけです。


そんなに磨く人がいるのかい、というほどしゃがんでぼんやり客待ちをしている靴磨きたち。体重計とお金入れの皿だけを置いている人もいる。街で体重を量る需要というものがあるのか?と思ったら、案外あちこちで体重計に乗っている親子連れの姿が。おいっ、チャイ飲んだ余りを歩道で無造作に捨てたらひっかかるじゃないか。脇を通り抜ける犬、犬、犬。あの吠えているヤツに噛まれると命に関わりそうだ。嵐の濁流のように道路を埋めるクルマの群れは、全ての車両がクラクションを鳴らし続ける。それが生存証明であるかのように。みなが鳴らしているのは、一台も鳴らしていないのと変わらないぞ。一等地でも、工事現場のような騒音。それは建設ではなく、消費でもなく、脇を通る犬と同じことをしているのだ。だからといって、鳴らさなければ、この街ではなくなる。

黒いといっても、顔にはグラデーションがある。真っ黒、かなり黒、やや黒、けっこう白。それによってどうやら衣服も違う。職業も違うのだろう。ただ、いずれも目が白く輝き、十人いれば十人の黒から二十の白が、まっすぐにぼくの目を射貫く。街行く全員に、かみ砕くように見つめられる経験は、そうでくわすものではない。白人旅行者のことはさほどガン見しないところをみると、見られるぼくに原因があるのだろう。マーケットに向かうと、目だけではない。呼び声がかかり、おさそいがあり、手が伸びて、どんどん触られる。

気がつけば、薄暗い市場に迷い込んだ。肉の臭い。内蔵の臭い。獣の皮の臭い。足下は鮮血が川のように流れている。白や黒のヤギが何頭もつながれている。たくさんのニワトリが網の中で声をたてている。男たちが、無言で、それらを裁いている。この場で殺し、この場で処理し、それを商品にして、この場で売っている。屠殺、解体、精肉、そして小売りの兼業。「フレッシュ、フレッシュ。」肉塊を押しつけてくる。確かに、新鮮であろう。

駅前の群がりは、これもどうやら市のようなのだが、路上の暮らしと一体化していて、商売なのか、消費なのか、生活なのかが余所者には判然とせぬ。うずくまるように横になっているが目だけギラギラとこちらに向けている男。下半身ハダカの子。裸足だ。脇を通り抜ける犬、犬、犬。カレーのようなものを火にくべている女。もうもうと湯気が立ちこめる。そこに手を突っ込んで喰っている子。姉妹だろうか、しゃがんで互いのシラミとりをしている。ぼくに手を伸ばし物乞いをする老女。初めて大阪・新世界に踏み込んだとき、つげ忠男の「屑の市」を読んだとき、受けた衝撃を上回るリアリズムが、ここにあった。

「ハッ。」かけ声とともに、頭が落ちる。毎朝20頭のヤギがいけにえとして捧げられる。押すな押すなのヒンズー信者がありがたく見守る。脇には、それまでに斬られた黒い子ヤギの頭が5つ転がっている。体はきちんといただくらしい。このカーリー寺院には、沐浴のための池があり、その縁にシヴァ神の像がたたずむ。寺院の担当者が手招きする。なんでしょう。「お前は何人家族か」4人ですが。「では4000ルピー出しなさい ナマステー」なんでやねん。

コルカタにも地下鉄がある。出入り口には屈強な男たちが数名立っている。ねぐらにさせないためだろう。1区間4ルピー。シヴァ神への祈りで1000回乗れるぞ。ナマステーおやじの言うことを聞いてたら2年ぐらい通勤タダやったやんけ。4ルピーは6円。前回ロンドンに行ったとき、地下鉄1区間4ポンドで1000円を超えていたのを思い出した。東インド会社のにおいを遺すコルカタは、おいそれと近代化を寄せつけているわけではない。

巨大な拡声器を積んだクルマと、怖ろしい形相の女たち。それを取り巻く野次馬たち。道路を占領し、クラクションが一段と激しい。デリーで集団レイプがあったとかで、抗議行動が市街地を占拠している。マザーテレサはこの街のスラムから活動を始めた。情熱が似合う街だ。だが、一歩、喧噪を離れると、泥沼があり、その縁では男どもがうずくまっている。休んでいるのではなく、動くことの消耗を避けているのだろう。静、が日々の大半と思われる。じっとしている、が人生の大半と思われる。いや、動く人影も数名。粗末な道具で釣りをしている。周りの静たちが、じっと、見ている。

濁った川に出た。フーグリー川というガンジスの支流だ。この聖なる川は、沐浴に供されるだけではない。川上から人が流れてくることがあるという。寿命を全うできなかった子どもなどは、火葬にせず川に流されるという。とすればそれは、死体ではなく、遺体と呼ぶべきだな。などと、ゆったり、とうとうと行く川を、コルカタの時間に寄り添って眺めていたら、灰色の空にぽっこりとピンクの夕陽。ああ、街の喧噪を包み込むように、太古から変わらないこの営み。


ぼくの知る日本の街は、どこも清潔で平穏になりました。物乞いも疫病も失せ、怒声や乱闘は減り、悪臭は去り、クラクションだってそう聞きません。川崎ゆきお「猟奇王」はかつて「くっさい町やな」「そら大阪やもん」と語りました。実に臭かった大阪は記憶にのみ刻まれています。コルカタも、そうなるんでしょうか。そうかもしれません。でも、この街を上回るカオスはもう地上にないんじゃないかと感じます。500万人もの人がいて、古くからの文明があって、すさまじい貧困と、成長への希望がどくどくと渦巻いています。このぎらつきが、清潔で平穏で、笑顔に変わっていくことは、コルカタにとって、インドにとって、いや、インドにエネルギー源になってもらいたい日本にとっても、うるわしいことでありましょう。でも、ぼくにはこのぎらつきが、この異界が、声には出せないけど、かけがえのない、いとおしい光に映ります。二度と来たくなくなるか、何度も来たいと思うか、どちらかになる、と言われる都市。ぼくが何度も来るとすれば、それは闇を抱える蛾の見出した光という憧れが、まもなく消えゆくはかなさを訴えているからでしょう。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2013年2月7日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。