レーダー照射問題で安倍総理は遂に中国への謝罪要求へとステップアップしました。中国側は捏造という声明を出しているようですが、内容を見る限り、中国のフリゲート艦からの照射はほぼ間違いないとされている中、事実を認めない姿勢は日本への挑戦にしか見えません。
中国側の対応がいまいちなのはひとつには春節という中国の正月にかかっていること、もうひとつは3月に習体制に代わる端境期にあり、政治的に動きが取りにくいことが直接的な理由でしょうか? ただし、昨今の尖閣付近での挑発は日本側が平時であれば、それ以上の行動に出られないことを知っていてやっているのでしょう。つまり、いじめっ子が喧嘩しない相手に「おまえ、俺を殴ってみろよ」といっているような感じだと思います。
ただし、安倍総理は今のところ、冷静な対応をしていると思います。つまり、売られた喧嘩に「何を!」と直接的にリングの上で戦うのではなく、レフェリーなどをうまく使いながら立ち回るスタイルです。
日本と中国の間の不幸のきっかけとなった1937年の盧溝橋事件は夜間演習の際、中国側、日本側、どちらが撃ったか、というところからスタートしています。中国とぶつかり合いになった場合、中国側は事実が歪曲され、情報統制されている国民に「これが正である」というニュースを流すわけですから国民はそれを信じる以外にないのです。それは仮に日本がどれだけ事実に基づく正しいことを述べても中国側の報道官の言葉ひとつで13億の民は右にも左にもなる、という極めて恐ろしい状況が根底に存在するのです(もっともかつては日本もそうでしたが)。
しかも中国の体質は何年たっても変わっていません。自分が間違っているとか、不利になるようなことはまず認めることはない上に日本と中国の関係を考えた場合、中華思想上、日本、韓国は東夷ですが、韓国は同じ大陸にあることや歴史的つながりから小中華思想とされており、日本だけが野蛮であるという発想が根本に存在します。つまり、中国人にとって日本人が中国人の上に立つことは思想上、許されないことになってしまいせいぜい、対等か、琴線に触れないようにするのが妥当な対応の仕方ということになってしまうのです。
ですが、尖閣をめぐる中国側のこのところの挑発はいくら常識観とプライドを持つ国でも我慢の限界が近づいていることも事実です。欧米で日中間の小さな島をめぐる争いというのはそういう意味で実に大きな火種であると考えているのです。仮にも武力上の交錯が生じた場合、経済等にはその数倍、数十倍の反応が直ちに起きないともとも限らないわけでそういう意味では昨年秋の日系企業の苦しさも喉もとを過ぎれば、という状態にならなければ良いと願っております。
世の中、心配のネタは尽きないものですね。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年2月9日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。