2020年における「レスリング」について --- 松田 宗幸

アゴラ

2020年夏季オリンピックでのレスリング競技の廃止が話題になっている。1896年の第1回アテネ大会から実施されている伝統的競技廃止の裏に考えられる要因として、

  1. 昨今、現IOCの中心メンバー欧州西側は勝てない種目を廃止する流れが見られる。レスリングはユーラシア大陸のトルコ以東のイスラム、中央アジア、コーカサス、ロシア、東アジア、アメリカ大陸が民族的歴史と身体的特性において優位性があり、先のロンドン大会での実績もそのエリアに傾倒している。
  2. オリンピックは完全に資本市場線上にあり、裁定価格や期待収益率がモデリングされ完全に資本市場線上にある。特に人気がある強い選手がおり、ますます盛んな国は、パシフィックエリア経済大国の米国と日本。ゆえに除外候補に上げることで、ロビー活動を誘導し、企業スポンサード料を引き上げんとする販売促進戦術が考えられる。

オリンピックの理念は「より早く(Citius)、より高く(Altius)、より強く(Fortius)」。紀元前776年の記録に残る最古の第1回古代競技はスタディオン走と呼ばれる短距離走1種目だけ実施で、地元エリスのコロイボスが優勝。エーリスとスパルタ2国のみ参加だったオリンピア大祭は、4年に一度正確に開催され続け参加国も増え全ギリシア諸国が参加、大会は共通で使われる暦の単位にもなる。

その後、競技はスタディオン走のほか、ディアウロス走(中距離走)、ドリコス走(長距離走)、五種競技、円盤投、槍投、ボクシング、パンクラティオン、そしてレスリングに拡大。レスリングは古代オリンピックでも人気競技でより現在まで優位性があり、また古代ギリシアのパンクラティオンなど、死傷者が当たり前のように出る他闘技と比べ、より安全であったゆえ個別競技の他、五種競技の一つとしても導入される。

レスリングは柔道と異なり徒手で道衣を掴む事は許されない。立技では相手のバランスを崩しながらキャッチする身体部位を探り、フックを利かせ組み倒す、または投げ倒す。寝技においてはポジショニングのスピード、そしてパワーで制圧することを達成主眼とする。

地域により細かなルーツとルールの違いはあれ、現在でも立技組倒と寝技制圧という闘技の実戦優位性に特化し世界的分布をみせる民族武道ともいえ、その競技人口も多い。まさにオリンピア大祭から綿々と続いてきた各国伝統闘技を代表する呼称こそがレスリング(Wrestling)である。

より強く(Fortius)のオリンピックの理念を代表するレスリングの2020年大会中止候補ノミネートに対し、そうした世界的浸透性および認知性から擁護の声が世界各エリアから上がっている。トルコ、イラン、ロシア、中央アジア、日本、米国とかつての政治理念による冷戦構造で対立していた国家が、ある意味不思議な意識連携を見せている。

闘った歴史を持つ者同士に内在し、分かち合う価値観というものがある。各国首脳においても、日本ではモントリオールオリンピッククレー射撃クレー・スキート競技日本代表の麻生元総理、KGB出身の柔道家プーチン大統領などIOC国際オリンピック委員会へ、ある一定影響力を発揮することが可能な人物がそれらレスリング大国には存在する。伝統闘技レスリング継続の共同活動戦線が、世界経済復興、平和維持とが包括連携され今後に引き継がれることを、闘技に携わる者として大いに期待するばかりである。

経済的な成功や失敗は、消費者側の認識の変化によるところが大きい。本物の人為政策とは国民を本質的に元気に向かっていかせる、ある種の人間が発するメッセージやアクティビティーな行動エネルギーであり、それをオリンピックの政策指針にしなければ世界経済に希望はない。認識変化が多少生じても、正しい事実が変わらなれば意志変化は起こる。
本物は最後に成し遂げる仕事を、周りの利益に誘導されず、本質に立ち返りそれを行動指針とする。意志の力の実行化は関係の対項として身体を含意する。フランス革命以後の動乱の時代を生きた政治家メーヌ・ド・ビランは「je veux, donc je suis(我志す故に我あり)」と堂々述べている。

松田 宗幸 Muneyuki Matsuda
(株)Mホールディングス
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