みんなの党の渡辺喜美代表が、また「リフレ派を日銀総裁にしろ」と主張している。その一方で、彼は「財政政策やターゲッティングポリシーに見られる成長戦略は、小泉政権以前の自民党に先祖返りしている」と政府の補正予算を批判しているが、リフレこそ(できない目標を立てる)ターゲティングポリシーである。
他の国のインフレ目標は、インフレを起こす目標ではなく抑制する目標だ。政府と日銀の共同声明でも「できるだけ早期に実現することを目指す」と書いているだけで、目標に法的拘束力はない。ところがみんなの党は「政府は、達成すべき物価の変動に係る目標を定め、これを日本銀行に指示する」という日銀法改正案を国会に提出した。
このように「いかなる手段をとってもインフレを起こす」という政策は、John Taylorも批判するように”do-whatever-it-takes”アプローチになってしまう。本来のインフレ目標は中央銀行の裁量を排して金融調節をルール化するためのものだが、リフレは逆に中央銀行の介入を強める裁量的政策なのだ。
アメリカでFRBを批判している保守主義者はFRBの裁量的な介入を否定しているのだが、日本では安倍首相のみならず、みんなの党のように「小さな政府」を標榜している党までこういう家父長主義を主張するので、自由主義という選択肢がない。
80年代のバブルの第一の教訓は「過剰な景気対策がバブルを生む」ということだ。「円高不況」に対して日銀の行なった金融緩和は、結果的には景気対策どころかバブル崩壊で大混乱をもたらした。タレブもいうように、グリーンスパンが景気変動をならしたことがリーマンショックの原因だった。景気対策は、小さなリスクを減らして大きなテールリスクを作り出すのだ。
Rajanも「金融危機のあとで従来のトレンドを延長した『需給ギャップ』を埋めようとするのは誤りだ」と述べている。ギャップの基準となる潜在GDPが供給構造の変化で大きく下がっているので、リーマン以前の水準に戻すことは不可能だし、望ましくもない。無理に戻そうとすると、クルーグマンのいうように莫大な財政支出が必要になるが、それは維持可能ではない。
これがフリードマンが通貨供給量で中央銀行を縛ろうとした本質的な理由である。小さな政府とは、単に歳出の少ない政府のことではない。それは政府が市場に裁量的に介入しないでルールを守り、金融危機のような危機管理だけをしっかりやる政府のことだ。渡辺氏が党員からも愛想をつかされるのは、こういう自由主義の本質を理解していないからである。