オオカミになってブラック企業を乗り切れ

生島 勘富

松本 孝行氏の 日本人の人生は極端な生き方以外ないのか
山口 巌氏の 若者は海外を目指すべき

と、二つの真逆な意見が並んだので、合わせて少し考えてみたい。


■イソップ物語には無い、オオカミとヒツジの話

人間には二つのタイプがいるというのを、永江 一石氏が見事に分析されています。

人間は大別すると「オオカミ」と「ヒツジ」に分けられます

  オオカミ ヒツジ
自分で稼ぐべきと考える 働いた分をもらうと考える
楽しみ 獲物を捕まえること 毎日のんびり暮らすこと
欲望 強め あまりない
空腹 割と耐えられる 絶対イヤ
食事 食えるときに食えるだけ食う 腹八分目が主義なので健康
個性 かなり強め ほかと違うのは嫌
友達(群れ) 少なめだけど深いつきあい 広めで浅いつきあい
悪者率 高い 低い
知性 高め ※ずるがしこい 低めでも問題ない
最悪の結末 野垂れ死に ジンギスカン

イソップ物語には無い、オオカミとヒツジの話

オオカミとヒツジは、主従関係となりオオカミが主、ヒツジが従になります。
(だから、ホリエモンは「ヒツジ飼いとヒツジ」に置き換えたのでしょう)

ヒツジは自ら稼ごうとはせず、言われたことをやることによって報酬を得ようとするタイプです。言われたことをやるのは、機械でも、海外の人でも可能ですから、残念ながらヒツジの人は、私の言う置き換え可能な人となります。

この分析はまさにその通りと考えますが、永江 一石氏と違うのは、私は「ヒツジからオオカミになれるんじゃないか?」と考えている点です。

■世界的に国としてオオカミとヒツジがある

言うまでもなくアメリカにはオオカミが多いのですが、アジアを見てみますと、中国はもの凄くオオカミが多い国です。比率でもアメリカよりもオオカミの割合が大きいかも知れませんが、人口がアメリカよりもはるかに多いですから、絶対数はアメリカなんて比じゃないぐらいオオカミが多い。

現在、中国は「世界の工場」と言われていますが、ヒツジが必要な工場労働は向いていません。オオカミはすぐに辞めてしまいますし、同じことを真面目にこなす工場労働のようなことは向きませんから、中国で品質を上げるのは非常に難しい。

中国は羊の皮を被った狼で、金を貯めてオオカミとして世界に出ていくため牙を研いでいるだけです。そんなある程度金を持ったオオカミの中国は、いつまでも「世界の工場」ではありませんから、狩場を求め周辺国では飽き足らずアフリカなどに出て行っていますね。

アジアの他の国は歴史的にヒツジが多く、中国がそれを狩るオオカミになるのは必然でしょう。日本人がヒツジであり続けたいと思うなら、それを狩るオオカミは、アメリカから中国に変わるかも知れません。

アメリカから中国にオオカミが変わるのは血で血を洗うバトルの結果ですが、何度も言いますがヒツジは簡単に置き換え可能です。ヒツジは日本である必要がない訳ですから、ヒツジでいたいなら争う相手は中国ではなく、ベトナムやミャンマーなどの中国より更に安い労働者になります。

それでもヒツジでありたいですか?

■変われる人もいるはず

もともと日本では文化的にヒツジタイプが多いし、戦後の教育はヒツジタイプに育つように仕向けられて来ましたから尚更です。

しかし、心がけで変われるはずです。

オオカミかヒツジかというのは、生まれ持った性格の問題というのもあるでしょうが、帰国子女は総じてオオカミ的ですし、日本に生まれた外国人の中には、完全なヒツジになってしまう人もいます。
危機に面したり、あるいは留学などを機に、ヒツジからオオカミに変わる人も結構いますから、決して先天的なものではないはずです。

例えば、敗戦を機にオオカミに変わった人が多かったから、日本はこれほど発展したのでしょうし、恐らく、もともとはヒツジタイプが多い儒教の国韓国の躍進も、(他にもいろんな理由があるでしょうが)アジア通貨危機を機に、「このままではダメだ!」とオオカミに変わった人が多かったからではないでしょうか?

もちろん、松本 孝行氏の仰る通り、ヒツジとしての幸せを追い求めることも、間違っているとは言えません。

しかし、現在の求人倍率では、確実に漏れる人がいるわけで、不幸にも漏れることになってしまったら、羊にとっては大変な危機でしょう。その重大な危機に面して、なぜ、ヒツジとして乗り切ろうと悩むのでしょう?

ヒツジからオオカミに変わればすむ話です。
山口 巌氏の仰る通り、海外に出てみたら、オオカミに変わるチャンスは日本にいるより多くあります。

■一昔前は、オオカミからヒツジに変わっていた

こういうのを持ち出すのはオッサンの証拠ですが(苦笑)

一昔前の日本は、オオカミのような出る杭は打たれる社会でした。若さに任せ挑んでくドンキホーテは、オオカミにあこがれながらも、ヒツジにならざるを得なかった。ですから、『就職が決まって 髪を切ってきた時 もう若くないさと 君に言い訳』したもんです。

今でも、大企業に入ったら、「羊の皮を被る」ことは必要かも知れませんし、爪も牙も抜かれることがあるかも知れません。しかし、ある年齢(役職)以上は、オオカミであることを求められ、ヒツジはふるい落とされてしまいますよ。ブラック企業に入れば、いきなりオオカミかどうか(オオカミに変われるかどうか)を試されます。もちろん、ヒツジのままでブラック企業に居続けるのは、大変苦しいことで最悪死んでしまいますが、オオカミになったら問題ないのです。

オオカミに変われず、就職活動に敗れたり、リストラされたりしたら、ヒツジとして幸せの基準を下げるしかありませんが、私はできるだけ多くの人にオオカミになって欲しい。

鉄を喰え 飢えた狼よ 死んでも ブタには 喰いつくな

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