「八重の桜」がパッとしないわけ --- 城 繁幸

アゴラ

なんでも「八重の桜」が伸び悩んでいるらしい。筆者は初回から見ているが、丁寧でドラマと史実を上手くバランスしており良くできたドラマだと思う。

でも、正直に云おう。ここ2回ほど撮りためたまま見ていない。なんだかこのまま未視聴分が溜まっていきそうなオーラをHDDの中で放っている。そういえば昨年の清盛も初回から録画していたのだが、ついに一度も見ないまま全部デリートしてしまった(見ている人は評価している人が多かったが)。


なぜ面白い、面白そうだと感じていながら大河を見ないのか、というと、単純にしんどいのだ。テレビの前に小一時間座って集中して話の内容に入っていくというのが、もう単純にしんどい。「それを一年間とおしてやんなきゃいけないのか」と考えると、もうほんとうにしんどい。最初は疲れているだけかと思ったが、どうもそうでもない。ゆっくり休んで体力が有り余っている時でも、重厚なドラマはしんどい。

そこで気付いた。自分も含め、どうも多くの人のエンタメ耐久力は一時間もたなくなっているのではないか。

実は同様の傾向は数年前から気になっていて、たとえば大河以外でも「不毛地帯」や「官僚たちの夏」「運命の人」といった民法の重厚系ドラマは、作り手の力の入れ具合の割に数字がふるっていない。筆者はつきあいで見ていたが、長期で見ると満足感のあるドラマだったと思うが、短期ではやっぱりしんどかった。

一方で、昨年の「ドクターX」はその点上手く考えていて、けして複雑で重厚な展開があるわけではないが、一話ごとに起承転結が成立していて、さくっと見られる内容だった。最終回の視聴率が24%を越えた点からも、同様に評価している人が多かったのではないか。

視聴者の嗜好が変化した最大の理由は、やはりネットだろう。

筆者もたまに探しだして鑑賞しているが、youtube等の動画サイトには、過去のコンテンツの名場面がゴロゴロ転がっている。「大竹まことが〇〇〇出したシーン」から「野坂昭如と大島渚のどつきあい」まで、過去数十年分のコンテンツの中のもっとも面白い数分間に、無料で即時に触れられるわけだ。視聴者がこういうノリに馴染んでしまうと、1クール引っ張って満足させる重厚系ドラマはやはり分が悪いのだろう。

同じことはひょっとするとテレビ以外のカテゴリーにもあてはまるのかもしれない。若者の据え置きゲーム離れが指摘されているが、筆者の周囲を見ても、据え置き型ゲームに金をかけているのは、「テレビの前で数時間苦行することで一定の達成感が得られる」とニンテンドーに調教された30代以上ばかりだ。

それより下の世代になると、ゲーム自体にあまり興味がないか、モバイル型で移動中、つまり2、30分の区切り内でプレイしている人が多いように見える。

ひょっとすると、20代で酒が飲まれなくなっているのも同じ理由かもしれない。「数時間飲んで食っちゃべって、翌朝も数時間気持ち悪さが残るかもしれないけど、なにがしかの満足感、多幸感が得られるかもしれない」というツールは、確かにネット世代との相性はよくないような気がする。

ではこのまま進めば、大河ドラマもお酒も、お手軽にさくっとやれて後に残らない軽いやつばっかりになるのだろうか。

筆者は、そこはあくまで多様化が進むだけだと考えていて、地上波や雑誌のように敷居の低いメディアはどんどんマイルド化が進むだろうが、重厚なものは有料化して重厚さを求めるファンと共にもっとディープな世界を作っていくと思う。

さて、大河ドラマである。最近気付いたのだが、一昨年の悪名高い「ごう」は、実は大河枠の中で重厚さの壁に穴を開けようとした意欲作だったのではないか。超スピーディな展開、アッサリしてて後には何にも残らない脚本、重厚さのかけらもないチープな演技など、マイルド化しようとした痕跡が随所に認められる。

でも、やっぱりそれって大河じゃないと思われる。幸い受信料という最高のマネタイズ手段をお持ちなのだから、NHKは多様化に伴う視聴率の浮き沈みに一喜一憂することなく、丁寧で重厚な作品を作り続けて欲しいというのが筆者の意見だ。


編集部より:この記事は城繁幸氏のブログ「Joe’s Labo」2013年3月4日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった城氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方はJoe’s Laboをご覧ください。