2013年3月11日、あの日から丸二年が経とうとしている。風化という言葉がこれくらいしっくりくることがあるだろうかと思うと同時に、その感覚がいかに想像力を欠いたものであるかを痛感する日でもある。
確かに、がんばろう日本、復興、絆というフレーズは見かけなくなったし、こういう日でもなければ震災がらみのニュースが大きく取り上げられることも少ない。今書いているこの短い文章も最たるものだが、思い出したように語られるテーマになっている。
しかし、もちろん当事者にとっては日々向き合うものであり、それだけが現実である。もっとも、この「当事者」という言葉が何より質が悪いのだが。あちら側とこちら側を簡単に切り分けて語るのが当たり前になることで、絆がどうのこうのではなく、津波や地震の影響で空間が変わったということとも別に、分断されてしまう。差別以前の、ほとんど無意識のレッテルである。
そしてさらに、震災とそれに伴う原発事故は、人々の価値観や生き方を変えた。もしくは元々あったもののを浮き彫りにした。それはある種の狂気として表出し、ある人は困惑し、またある人は熱烈に歓迎した。多様性という言葉ではわりきれないほどに、相互理解は遠い彼方へと押しやられた。
圧倒的なビジュアルを伴い体感できる恐怖と、得体の知れない可視化できない恐怖。天災と人災。前者の恐怖は有無を言わせない絶対的なものだが、後者はそうでない。天災は人智の及ばないところにあるが、原子力は人智でつくり出せる。そうして、人々は複雑なストーリーを歩むことになった。
津波には加害者も被害者もいない。当事者も傍観者もなかった。だから、少ない言葉でそれを共有できた。しかし、原発事故はそうではない。政府や東電、マスメディア、およびそれに加担する者たちを「加害者」とし、それに対して、庶民が、特に被災地の人々が「被害者」になった。
親の仇かのように「原発」というアイコンを憎む者、大義名分としての「被害者」や「当事者」を代弁する者が現れ、立ち位置の表明を強要され、溝は深いものとなっていった。その先は、ご存知の通りである。
抜けるような青空の下、思いきり伸びをしながら深呼吸をする人がいるとする。そして、その人は「ねぇ、空気が澄んでて本当に気持ちいいね」と楽しげに言う。でも、もう一人は「そうかな。目に見えない放射能が飛んでいるんだよ?」と物憂げに言う。
空が青く、辺り一面緑に覆われた、いかにも空気のおいしそうな土地であったとしても、ある人にとってそこは、もう「汚染された土地」なのだ。それが事実であるかどうか、差別なのではないか、そういう議論を待たずして、とにかくそうなのである。
もちろん、だからといって事実をねじ曲げていいわけでもなく、科学的な見地が無力なわけでもない。差別されてしかりの場所などあってはいけないし、そのことのよって風評に苦しむ人たちをさらに悩ますようなことは避けなければならない。
ーー 空はもう、青くないのか。
この問いに、どう答えるべきだろうか。空は変わらず青い。光の当て方ひとつだ。そう言いきれるだろうか。変わらないものとは何か、伝えられるだろうか。伝え続けていけるだろうか。
冒頭で、思い出したかのように語られるテーマと言ったが、自分にとっては一年に一度でも振り返る日があることは大きい。風化しているのは事象ではなく、自らの感情だからだ。
被災者ではなくとも、アプローチする主体としては当事者であることを忘れないために。14時46分にもう一度、あの日のことを思い出そう。
青木 勇気
@totti81