日本人の人生は極端な生き方以外ないのかという投稿をしてから、多くのご意見をいただきました。アゴラ内では山口さんの「若者は海外を目指すべき」と
生島さんの「オオカミになってブラック企業を乗り切れ」で意見を頂きました。また他のブログでも取り上げてくれた方もいらっしゃいました。
じっくり考えてみましたが、おそらくこれはエリートかノンエリートか、どちらを見ているかの差だと思いました。海外推進派の方々はエリートを、そして海外に行かなくていいという私はノンエリートの人たちを見ているから、意見が食い違うのだと思いました。
今回私は「海外経験がないと不幸な人生を送るかのような主張」に対して、意見をさせてもらったと思っています。
若者に海外に行けという人の中にはまるで海外に行かなければ不幸な人生を歩むかのようにいう人がいますが、私はそうは思いません。私の友人を例に出しましたが、彼が不幸になるかどうかは数十年後わかりません。しかし今現在は嫁も子供もいて、すごく幸せそうです。逆に海外経験をしたから幸福になれるか?という保証は誰もできないでしょう。
海外に行くこと自体は否定したくはありません。むしろ行きたい人はいけばいいでしょう。ただ、海外に行かないという選択肢も認めるべきではないでしょうか。家族や子供を育てないといけないから海外に行けない私の友人をはじめとして、経済的に海外に行けないというノンエリートの人もいるでしょう。海外に行った人たちだけが幸せを掴み、国内に留まった人は不幸になるような社会がいいとは到底思えません。
確かに海外経験を積んでキャリアアップしてその経験を生かす、そういうエリート人材を増やさないといけないという考え方も分かりますし、私も同意するところです。ただ個人的にはそういったエリート人材というのは何も言わなくてもできる人が多く、むしろ必要なのは国内に残って仕事をするしかないノンエリートの人たちに対する解決策なのではないかなと思います。
いくらグローバル化したところで日本で働く人がゼロになることはありません。スーパーやコンビニなどの小売業で働く人もいれば、工場のラインで働く人も必要です。そして介護職もどんどん必要になってきますし、今でも医療・介護人材というのは人材不足です。こういった仕事を将来担う人材に対して「海外に行け」と言う言葉は的はずれなアドバイスではないかと思います。
国内で働き続けるノンエリートの人たちに対し、10年後に食える仕事、食えない仕事という書籍で、渡邊さんが負の所得税の導入などが必要と提言されているように、国内で働くノンエリートの人たちに対する政策が必要だと思います。そしてそれは海外経験のあるエリートを増やすよりも先にすべき事項だと個人的には思います。
何もかもエリートに合わせる必要はありませんし、日本人全員がエリートにはなれません。アゴラではユニクロの話題が上がっていますが、ユニクロで店舗の正社員から本社勤務になれる人がほんの一握りだけというのと同じです。であるなら一握りのエリートにフォーカスするよりも、9割の一般ノンエリートがグローバル時代でも生きられるようにすることのほうが重要ではないでしょうか。
一連の議論では、海外へ行けという人たちの意見を見ると、こういう国内に残る大多数の人たちに対しての配慮が足りないのではないかと思います。私は国内に残る大多数の人たちの立場から、海外へ行けという言葉に疑問を投げかけたわけです。
それに海外へ行ってグローバルエリートを目指した所で、幸福になれると思えません。3人の子供を持つ友人を見ていたら、それはなおさらそう思います。