「被害者意識」と「陰謀論」の正体

松本 徹三

TPPの議論ではいつも「陰謀論」が出てくる。「TPPは、自国のやり方を押し付けようとするアメリカの陰謀であり、日本は結局はアメリカの言いなりになって、国益を大きく損なう事になる」という趣旨の議論だ。しかし、こんな事を耳にすると、日本人の精神年齢の事が少し心配になる。


どんな国でも、少しでも自国の利益になるような「取り決め」や「仕組み」を国際的に作っていこうと努力するのは当然であり、これは「陰謀」でも何でもない。TPPの話があろうとなかろうと、米国はいつもそうしてきたし、米国以外の国でも、自国に力があると思えば当然そうするだろう。

TPPは、アジア市場がブロック経済化し、自国がそこから閉め出される事に大きな危惧を抱いた米国が、シンガポールやオーストラリアと語らって巻き返しを計った起死回生の策だ。客観的に見ると、中国の影響力の増大を危惧するベトナムが早い時点でこれに乗ったのも理解できるし、日本の交渉参加も「米国との二国間FTAで韓国に後れをとった日本の巻き返し策」と解釈出来るだろう。

日本がTPPに参加するかどうか、参加する場合にどういう条件を必須と考えるかは、日本自身が決める事であり、その得失をぎりぎりまで計算すればよいだけの事だ。勿論、この得失計算には経済問題だけでなく安全保障問題も絡んでくるから少し複雑になるが、日本人の知的水準があれば十分計算出来る事だ。「どうせ米国の言いなりになる」と言っている人達は、恐らくは、日本人の基本的能力について自虐的なまでに自信を喪失している人達なのだろう。

よく考えてみると、「陰謀論」なるものの好きな人達は、実は「この対極にいる人達」なのかもしれない。彼等は、「日本人はそう馬鹿ではないが、この世界のどこかには巨大なパワーを持った秘密結社のようなものがあり、彼等は自分達が設定した或る目的の為に、至る所に罠を仕掛けて誰もが抵抗できなくなるようにしようとしている」と本気で考えているかのようだ。

そもそも、このような「陰謀論」は、ナチスが国内でのユダヤ人の経済力を押さえ込む為に、「ユダヤ人による世界征服の陰謀」という架空の話をでっち上げて国民の反感を煽り、遂には大規模なユダヤ人迫害へと導いていったのが始まりなので、大変危険な思想なのだが、現代の「陰謀論」の信奉者達の考えは、そこ迄深くはなく、単純にマンガチックな「悪の組織」をイメージしているかの様だ。

しかし、「陰謀論者」が比較的少数なのに対し、「自虐派」はかなり多そうだ。殆どの人は知らないと思うが、今から数年前に日本の公正取引委員会はパナソニックの提訴を受け入れて、現在の携帯通信技術の根幹を握るクアルコムのライセンス政策を不公正と断じた。クアルコムは当然反論して長期戦になりそうだと聞いているが、私は米国人の担当弁護士から公取側の論拠を聞いて我が耳を疑った。

詳しい事は分からなかったが、パナソニック側の論旨は「不公正と思いながらも受け入れざるを得ない状況下での交渉を強いられた」というものだったと記憶する。問題は「受け入れざるを得ない状況」とは何だったのかという事なのだが、このところの文章は極めて曖昧で、まともな英語にはなっていなかった。

「刃物で脅かされた」とか、「新しい契約をしなければ既存の契約を解除すると脅かされた」等という事があったのなら不法性を主張できるが、そうでなければ、「契約しない」という選択肢を行使しなかった当事者が「契約を強いられた」と主張するのは極めて困難な筈だ。「契約」というものは、本来当事者の自由意志によって締結されるものなのだから、「どういうやり方で強いられたのか」が明示されない限りは、「契約を強いる」という言葉自体が自家撞着となる。

全ての交渉事は、本来「当事者間の真剣勝負」であって、お互いに少しでも交渉が有利になるような材料を苦労して準備するのが普通だ。「相手方を取り巻く環境をよく読み、相手が弱い立場にあるタイミングを見計らって交渉する」等という事は、勿論「交渉術のイロハ」である。また、ぎりぎりの交渉事には、何よりも「胆力」が必要とされる。

従って、「不本意だが契約せざるを得なかった」というのは、要するに、交渉術でも劣り、胆力もなかったので、「交渉に負けた」という事だったのだとしか解釈できない。「自虐派」は「交渉は負けるのが当たり前だから、それ以外のところで救済を求めるべき」と思い込んでいるかのようだが、言うまでもなく、これは全くの筋違いの議論だ。

尤も、この際言わしてもらうなら、交渉事の成否を決めるのは、このような「交渉術」よりも、「自らが提供するものの価値」そのものであると考えておいた方がよい。

「契約」が成立するという事は、「得るもの」と「与えるもの」が、どちらの当事者にとっても「等価」であると認められるという事なのだから、「自らが与えられるもの(例えば持っている技術や資金)」の価値を少しでも高め、「譲る必要があるもの」への依存度を少しでも低めておく努力を、常日頃から怠らない事こそが、実は何よりも必要なのだ。

それでは、次に「被害者意識」の問題に移りたい。

日米間の問題でよく耳にする「恨みつらみ」の典型例は、「米国の圧力でトロン(日本製の小型OS)を潰された」という話だが、これも全く筋の通らない話だ。トロンがパソコン用のOSとしてはものにならなかったのは、元々それに値するようなアーキテクチャーのスケールを持たなかったからであり、米国の圧力によってではない。米国が問題にしたのは「国の教育プロジェクトに使われるパソコンなどの機材については、内外無差別の『技術ニュートラリテリー』の原則を遵守すべきである」という事のみだった。だから、仮にNECや東芝が商業用のパソコンにトロンを使ったとしても、勿論何の問題にもならなかった筈だ。

かつて、インテルとTIが、旧電電公社に納入される機材に使われている半導体が国産品に限られていたのを激しく攻撃したのも、モトローラが日本移動通信(IDO)にDDIと同じ通信システム(TACS)の採用するように迫ったのも、通信サービスが国によって強く規制されていて、「国が実質的に支配している」と解釈されるような状態だったからに他ならない。

私は、自分自身がクアルコムの日本法人の社長をやっていた為、所謂「米国の圧力」というものがどういうものであるかを熟知している。米国企業が政府に「圧力をかけてほしい」と要請するのは、相手国の政府の規制や行政指導がGATTなどに違反している疑いがある時や、「不公正で理不尽だ」と難詰出来るような事が現実に起こっている時だけだ(或いは、二国間でgive and takeの取引が成立しそうな時には、take側の対象に自分達の商品やサービスが組み入れられるように、自国政府に働きかける事もある)。

米国の政府機関はtax payerに対するサービス精神が旺盛で、自国の企業の出先機関の意見もよく聞いてくれる。私も、クアルコムの社長時代には、通信担当の特命大使などが来日した時には、大使館に招かれて意見を求められた事が何度かある。筋の通った事なら直ぐに理解が得られたし、相応の協力も得られた。

逆に、米国側に事実誤認があった時や、「米国側が求めようとしている事は筋が通らない」と私自身が思った時には、「そんなことを言ってみても通る筈はないし、言う事自体が恥ずかしい事ですよ」と率直に嗜めた。その結果として、「筋の通らない要求」の幾つかは、あっさりと取り下げて貰った記憶がある。

外国会社に雇われた身であっても、私には一つの信念があったので、社長在任中に日本の国益に反する事をした記憶は一切ない。従って、後に東南アジア・大洋州を統括する立場になった時も、各国のカントリー・マネージャーは全員その国の人間とし、「会社に対する忠誠」と「自国に対する忠誠」の両方を求めた。そして、「その両者に矛盾があると思った時には私が解決するから、必ず相談してほしい」と伝えた。結果としては、深刻な矛盾にはついぞ直面した事はなかった。

なお、「被害者意識」のもう一つのパターンとして、「技術標準の策定等にあたっては、欧米人はすぐに結束して、日本人等の提案を阻害する」という「全くの思い違い」もよく耳にする。欧米人同士が日本人などの知らないところで緊密に連絡を取り合うのは事実だが、それはその方が話が早く済むからであり、日本人であっても積極的にその会話の輪の中に入っていって、迅速に且つ理路整然と議論すれば、勿論外される事はない。

日本のお財布ケータイに使われているFELICAという技術は、もともとはソニーが開発し、後でJRやドコモが協力したものだが、遂に世界標準にはならなかった。しかし、それは、欧米諸国が「日本で生まれた技術」だという理由で標準化を妨害したからではなく、当初ハードで利益を上げる事を考えたソニーが技術の中身をブラックボックスにしたからだ。要するに、「始めから敢えて世界標準化に拘らない戦略を取った」のか、或いは「世界標準化に向けてのパートナー作りや根回しが拙劣だった」のかの、どちらかでしかなかった筈だ。

私は、「被害者意識」の多くは、自分の戦略の誤りや能力のなさを棚に上げての「言い訳」と同義だと思っている。従って、根拠のない「被害者意識」を持つ人達は、「見たくない真実」から目を背け、反省もしない人達だ。こういう人達が仕事を仕切っている限りは、日本が世界市場で大きく飛躍する事はないだろう。「被害者意識」や「陰謀論」がなくなった時こそが、日本人が「近代契約社会」の本質をやっと理解し、精神年齢で欧米並みになる時だと思う。