書評:『ビッグデータがビジネスを変える』を読む --- 中村 伊知哉

アゴラ


ビッグデータがビジネスを変える (アスキー新書)

総務省から東大に移った大先輩、稲田修一さんの「ビッグデータがビジネスを変える」を読みました。

ビッグデータ=BDはまだ定義がないとして、「大量の情報の集積」ぐらいの緩いとらえ方をしています。可能性を狭めないためにも、現時点ではそれでいいと思います。バズワードでもあり、可能性の広がるキーワードでもあります。


ぼくも関心のある分野なので、BDについては分かっているつもりだったのですが、本書に啓発させられたので、なぞりつつ頭を整理してみます。

まず、BDがもつさまざまn可能性を指摘しています。ぼくは大きく分けて3つ、「個人」「インフラ」「コミュニケーション」があると読みました。

第一に、個人。ビジネスや地域だけでなく、個人も集合知を活用できる可能性です。

利用者の集合知を活用するクックパッド、カカクコム、エムスリー、ザッパラス、ボルテージ、ウェザーニュースらの事例が挙げられています。— なるほど、BDをまずは人の発する情報、コンテンツから捉えるのですね。BDはWeb2.0が大量の無記名レベルに拡大した、いわばWeb3.0ということでしょうか。

本書では、コンテンツの集積をBDと位置づけています。 — ぼくの計算では、デジタル化が進み始めた95年から2005年の10年間で情報量は21倍に増え、さらに加速していますが、それをBDの一部とみるわけです。BDの議論はどちらかというとセンサー系=M2Mが多いのですが、これはコンテンツ=人と人(P2P)とモノ・モノ(M2M)を統合する見方です(ここで、TFMの「School of Lock!」はソーシャルメディアであり、BDの集積でもある、との記述がありました。ふむ、BDの文脈でそのサービスに着目するのは面白いですね)。

第二に、インフラ。携帯電話の利用データで地域・時間ごとの人口分布を推計できるため、防災・都市計画に役立つ事例が挙げられています。 — BD自体が社会基盤として利用されるという見方です。

アメリカが核戦争に備えTCP/IPを作ったように、大震災を経験し、原発で世界に迷惑をかけた日本は、災害に耐える次世代のインフラを作る責務があるのではないか。前の震災ではネットが途切れずに活躍することを立証したが、次に来る大震災に立ち向かう研究開発は日本がリードしなければならないのではないか。などという漠然とした青い思いを2年来抱いているのですが、それは新しいネットワークを設計するというより、BDを活かした都市設計という上位レイヤが求められるということかもしれない、という思いがよぎりました。

スマートシティは、さまざまなセンサーからの情報をM2Mで共有して、都市全体でBDを活用する構想です。この取組は日本は遅れています。ですが、これこそ日本が先んじて取り組まなければならないことなのでしょう。ここで本書は、”日本は世界の1/4のセンサーを利用する「センサー大国」”という情報を紹介しています。 — へえっ、知りませんでした。さすが八百万の神々が棲むユビキタス社会です。至るところにセンサーが潜んでいるのに、それを面的に、戦略的に使えていない、という状況なのですね。

第三に、コミュニケーション。ネットの翻訳サービスは、大量の対訳例に基づく、BDの産物と説きます。 — BDが「コミュニケーション」「コミュニティ」を形成する可能性です。

ここで、1986年に京阪奈学研都市のATRが自動翻訳電話の研究をスタートして27年、世界をリードしてきたという事例が引かれます。 — これはぼくが社会人になって最初に担当した仕事です。1985年の自動翻訳電話開発プラン作成とATR設立です。電電公社の民営化に伴って生まれる株式運用益を使うビッグプロジェクトとして企画しました。今もこれが自分にとって最大の仕事かもしれません。当時から、自動翻訳には膨大なデータベースの構築がカギという議論でしたが、大量の資金を投入して専門家がしこしこ作るイメージであり、ネットで結合した「みんなが」それを作るという発想はありませんでした。

さて、稲田さんがSiriで遊んでいるシーンが出てきます。 — 14年前に同じようにシーマンで遊んでたのを思い出します。セガの社長は? と繰り返し聞くと、不機嫌そうに「イリマジリっていうんだろ」って答えて逃げ去るなどの裏技が面白かったんですよね。

情報通信投資の対GDP比率は米英韓が5%で2003年から増加傾向、日本は3%で2001年から減少という一橋大学深尾教授のデータが紹介されます。 — 一般ユーザの利用度は高いのに、企業の利用度が低いということでしょう。

また、2009年情報通信白書によれば、先進7カ国の情報通信利活用の偏差値で、日本は交通・物流で1位だが企業経営分野は最下位という情報も紹介されます。 — 日本は経営・管理レベルのITリテラシーが低いことが大問題なのです。

2010年に蓄積された情報量は、北米3500ペタバイト、欧州2000PB、日本400PB、というマッキンゼーの驚くべきデータも。 — 産官ともに日本は情報の重要性に気づいていないということですね。

教育、医療、行政といったパブリック分野でのBD利用の必要性が強調されます。まず教育。BDで教育ビジネスは高度化する。さまざまな人が教材を作成、集積する。各生徒に最適なものを提供できる。BDを活用した実証実験が必要だ。 — そのとおり。デジタル教科書・教材運動でもBDを新テーマにしたいと思います。

BDは医療・健康ビジネスにも重要。しかし病院間でカルテのデータ形式が異なる、検査データが連結できない等の根本問題。欧米では数千万件の医療情報を集積。日本は不十分。という指摘も。 — この分野は教育の情報化よりうんと壁が厚いですね。

行政のBD活用には国民IDが必須だが、先進国で日本だけが未導入、という指摘もあります。 — 結局、マイナンバー法も成立しませんでしたしね。がっかりします。

こうしたデータの共有と流通を進める課題の一つに、プライバシーの取り扱いがあります。取り分け日本は慎重です。稲田さんは、法律上の取り扱いが不明確だと冒険しない日本企業の行動原理を考えると、プライバシー・データの取り扱いを早急に明確化すべきだと説きます。 — でも、据え膳そろえて日本企業に期待するより、冒険する外資にやってもらったほうが国民にとってはいいんじゃないでしょうか。日本企業より日本国民のことを先立って考えないと、前に進みません。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2013年4月1日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。