昨晩から、新聞社系のニュースサイトで「“就活4年生解禁”経団連が政府要請受諾」という見出しが踊った。この報道のされ方、議論のされ方がいちいち残念だと思った次第である。
前からこのアゴラでも書いてきたことであるが、はっきり言って茶番である。
■米倉会長は本当に政府からの養成を受諾したのか?
この報道があった昨晩、私のTwitterでも触れたのだが・・・。
今回の報道の内容は、経団連の議事録とややニュアンスが乖離している。人材コンサルティング会社、パフの釘崎社長もブログでふれていた。
米倉会長、本当にそれでいいんですか?
http://blog.shokucircle.jp/kugi/2013/04/09/3876
元々の議事録ではこうなっている。経団連のホームページから引用しよう。
【採用活動時期の後ろ倒し】
学生に動揺を与えないか、中小企業の採用にどのような影響が生じるかなども考えて検討すべきである。倫理憲章は自主的な取り決めなので、多くの企業が賛同できる内容でなければならない。対応については、政府から正式な要請がきてから検討したい。就職活動期間の短縮化は学生が学業に専念することを目的としているが、そのためには大学も魅力的な授業を行い、学生の学業に対する関心を高めていく必要がある。(一般社団法人 日本経済団体連合会のHP 2013年4月8日の記者会見における米倉会長発言要旨より)
ご覧の通り、報道とはかなりニュアンスが違っている。事実の一人歩きもいいところである。もっとも、この手の議事録というのは、都合よくまとめられる。いや、もし書き換えられていたとしたなら、なおさら、この件については経団連は乗り気ではないということが推測される。
話を聞く用意はあると言っているのにすぎないのである。
日和見的な姿勢を示しているにすぎないのだ。
■時期だけの見直しは茶番であることをそろそろ学べ
何度も書いてきていることなので、ここでは端折る。詳しくはこれらのエントリーを見てほしい。
「就活の時期を遅らせよう」では学生も企業も救われない
https://agora-web.jp/archives/1527067.html
就活の改善に本当に必要なこと~時期の見直し論繰り返す不毛~
http://astand.asahi.com/magazine/wrbusiness/2013032600011.html
時期だけの議論は茶番である。そんな茶番を約100年、日本人は続けてきたのだ。そして、時期の規制は無力であることを歴史が証明してきた。
そんなことに早く気づき、出会い方をどう変えるか、負荷をいかに軽減するかという議論をするべきだ。
この件を検討している政府および経済団体の関係者は、我が国の就活の歴史について敬虔な反省を持ったことがあるのか。ルールを決めて破られる現実について、虚心に直視したことがあったのか。倫理憲章がいかに無力であるかについて、真摯に省みたことがあったのか。
偉い人たちの建前だけの議論は、人件費の無駄遣いである。
■大学は立派なのか?就活対学業論争に終結を
日和見的な姿勢を感じる米倉会長ではあるが、良いことも言っている。
就職活動期間の短縮化は学生が学業に専念することを目的としているが、そのためには大学も魅力的な授業を行い、学生の学業に対する関心を高めていく必要がある。(一般社団法人 日本経済団体連合会のHP 2013年4月8日の記者会見における米倉会長発言要旨より)
実にロックである。いや、そもそも学業に配慮と言ったところで、面接でちゃんと質問し、評価しているかどうかは特に文系においては約100年の課題なのだが。
なぜ日本の大学生は、世界でいちばん勉強しないのか? [単行本]
最近話題の『なぜ日本の大学生は、世界でいちばん勉強しないのか? 』(辻太一朗 東洋経済新報社)でも描かれているように、先生も学生もやる気をなくし、面白くない講義が増えるという負のスパイラルが、特に文系中心に起きてしまっている。
企業も学業重視なんていう風に、ポーズだけでいい子ぶるのはやめて、あるいは、過大な要求をしすぎるのもやめて、まずは学業の現実を直視するべきである。
何度も書いてきたことであるが、この建前だけの、ポーズだけの議論に、大相撲並みの八百長ぶりを感じるのである。真剣勝負のプロレスを愛するものとして、黙ってはいられないのである。
もちろん、私が書いていることは、39歳フリーランスの愚文にすぎないかもしれない。屁のつっぱりにすぎないかもしれない。でも、私は一人ではない。他の論者、大学関係者、採用担当者との連帯により、このポーズだけの議論を激しく断罪するとともに、自由化とセーフティーネット、雇用形態の多様化などによる企業と学生の新しい出会い方、学業阻害をしない方法、大学と企業の関係などについて考えていくつもりだ。第1回目の集会を、さっそく木曜に開催する。セミナーも開催する。
今回のポーズだけの議論、日和見的な姿勢には、全身全霊を込めて、反対する。燃え尽きるまで正しいと思ったことを主張するつもりだ。