「官製」ポップパワー発信策は“無用の長物”である!

北村 隆司

政府のクールジャパン推進会議が「ポップカルチャー分科会」を新設し、中村伊知哉先生が議長に就任し、映画監督、漫画原作者、ゲームソフト開発企業社長とともに「ポップカルチャーを海外に発信する」アイディアを練ることになったらしい。


ご自身の議長就任を機に、発表されたのが「日本のポップパワー発信10策」と言うアイデアだった。

中村先生が「ぼく」と言う第一人称で書かれているので、個人攻撃に聞こえるのが気になるが、先生の「10策」の内容は「エンタメ」に強い最近の高校の学園祭企画でも採用されないのでは? と思えるものであった。

「10策」への反応は素早く、やまもと・いちろう氏は「“規模の経済”が働かないコンテンツ産業に変な振興策を持ち込むのはやめて欲しい」と言う皮肉たっぷりな批判を展開、それを受けた中村先生は「ポップパワー策追記メモ」を書いて“反論”を試みたが、「弁解」と「泣き言」の繰り返しで、やまもと氏の批判に対する回答はなかった。

更に続けて、山口巌氏が「日本ポップカルチャー発信に税金使うの?」と言う国民の総意とも思える批判を加えたが、中村先生の反論は未だ見えない。

最後の止めを刺したのが、グラフィックデザイナーが本職の諌山裕の「若かりし頃、極貧アニメーターをやっていた私にいわせれば……“アニメーターになったら、リッチになれるようにしてくれ!” ……という一言に尽きる。」と言うコメントだが、徒手空拳で「諌山氏の夢」の実現の道を開いた人物がいるので触れてみたい。

彼はかなりの有名人なので、日本でもその名を知る人は多いと思うが、エジプト生まれのユダヤ系アメリカ人のハイム・サバンと言う人物である。

詳しい履歴はWikipediaに譲るとして、日本のポップカルチャーを原資として大成功し、今や全米で144番目の超富豪になり、多額の献金を通じてブルッキング研究所内にサバン中東政策研究センターを設立、米国の中東政策に大きな影響を与える様になった人物である。

ここで、中村先生が書かれた「日本のポップパワー」と言う分掌の冒頭の部分を引用してみたい。

「かってはハラキリ、カミカゼに代表される「闘う国家」が日本のイメージであったが、その後、トヨタ,ホンダ、ソニーといったグローバルに「闘う企業」に転換した。そしていまやこのイメージは、ピカチュウ、ドラゴンボールZ,セーラームーン、スーパーマリオブラザースの取って代わられた。マンガやアニメやビデオゲームといったポップカルチャー(大衆流行文化)が日本の顔をなしている。云々」
サバン氏が日本のポップカルチャーを世界に発信してから4半世紀(反省期?)過ぎて、中村先生が挙げた「現代日本の顔」の全ては「サバン・エンターテインメート」が世界に発信したものである。

サバン氏は、日本の官僚機構が「大衆流行文化」を心からに馬鹿にして、担当原局も存在しなかった1980年代初頭から、日本のポップパワーの創造力に眼をつけ、欧米向けに翻訳、編集しなおし、配信に工夫を凝らし、先に挙げた作品以外でも「メイプルタウン物語」「ふしぎなコアラ ブリンキー」「キャッ党 忍伝 てやんでえ」などを世界の人気動画に仕立て上げた。

彼の眼力の凄さは、当時は名も知れない「株式会社竜の子プロダクション」や広告企業の「創通」にまで接触したり、日本の特撮技術を駆使した事でも判るが、その結果、「パワーレンジャーシリーズ」「重甲ビーファイター」「メタルヒーローシリーズ」「宇宙刑事シャイダー」や任天堂と組んで「スーパーマリオブラザーズ」の世界的な大成功を招いた人物である。

中村先生の「政官ともに(勿論中村先生ご自身も入ると思いますが)ポップカルチャーを支援したいが知恵がない」と言う告白は、米国の一人の民間人が30年以上も前にやり遂げた「発信策」を,今から日本の官庁が税金を使っておさらいすると言う様では、とても「知恵」が生まれるとは思えない。

僅かな希望の光は、「短期間でやります」と言う中村先生自ら宣言された言葉で、これを本当に守るお気持ちがあるなら、議長として「ポップカルチャー分科会」の開催を宣言する際に「この分科会の意味がない事が判明しましたので、解散します」と宣言するのが、国民の為にも、中村先生の名誉の為にも一番良いのではなかろうか?

注 : 英文の資料とはかなり異なる部分もありますが選考までにハイム・サバン氏サバンエンターテイメントの日本版Wikipedia資料を添付しておきます。

2013年4月13日
北村 隆司