アンチ・グローバルのススメ!?

田村 耕太郎

昨日ここでアップしたスーパードメスティックのススメ!の続編である!

この本君は、世界がうらやむ武器を持っている [単行本(ソフトカバー)]
は、グローバルエリートと〝戦わずに〟生きる方法について書いた本である。

私の既著を読んでくださっている方の中には、今までさんざん「世界に出ること」を説いてきた私がこんなことを言うのに疑問を持つ人もいるかもしれない。
無論、「世界に出て行くこと、海外に目を向けること」が重要だという考えに変わりはない。だが、「グローバル化」を意識するあまり、「日本」が秘めている可能性を見逃してしまうのはあまりにももったいない。


われわれ日本人はとことん恵まれているのだ。メディアの「日本悲観論」に惑わされがちだが、準備をすれば世界で戦っても勝てるだけの素地があるし、世界に目を向けず、国内に的を絞っても豊かに生きていける可能性がある。その上、国内の変化を敏感に捉え、〝ピンチをチャンスに変える思考〟を持って突き抜ければ、やがては世界の先頭に立てる可能性もある。いずれにせよ、中途半端な生き方だけは意味がない。

世界に出ないなら徹底的に国内仕様の人間になるべきだ。日本はどこまでもドメスティックな国だ。外務省の統計によると、日本人全体の中でパスポートを持っている人の割合は24パーセント。8割近くが「世界をその目で見ない」人たちだ。ちなみにパスポート保有比率は同じ島国のイギリスで60%、食糧やエネルギーも自給できるカナダでも70%。アメリカはパスポート取得率では30パーセントでG7で日本の次に低いが、移民で成り立っている背景から多様な人種が混在しており、国内に世界があるようなものだ。国内が極度に均質的なのに外に出ない国民で成り立っている国は日本くらいだ。

また、経済で見ても日本は内需大国だ。日本は「貿易立国」との誤解があるが、GDP比で輸出は15%ほどしかなく、輸出のGDP比が過半となっているシンガポール、ドイツ、韓国という本当の「貿易立国」とは違う。経済の85%ほどが内需でできているアメリカと並ぶ、内需大国なのだ。

もちろん、グローバル化の流れを止めることは不可能だ。我々を守ってくれた日本語の壁は崩れ、世界が日本に浸透してくる。黙っていても、先進国から新興国まで、よく訓練された戦闘意欲満々の人材たちと、同じ土俵で戦わざるを得ない時代が来る。しかし、われわれ日本人はとにかくラッキーなのだ。われわれの住む日本には世界がうらやむ莫大な内需があるのだ!

韓国やシンガポールの人々がグローバルに競争せざるを得ないのは、何も彼らが生まれつき意識が高かったり、人材として競争力があるからではない。簡単なことだ。彼らの国には内需がないだけなのだ。耕す畑や掘る鉱山が国内にはないのだ。我が国は内需を舞台に勝負できる稀有な国なのだ。海外に出て、世界のグローバルエリート達と勝負するのも、出会いや学び、成長がある。大いに意義があることだ。しかし、日本人に生まれたからには、彼らと正面切って戦わずに、「日本という武器を磨く」選択肢があることも知っておくべきだ。
 

●「逃げること」は、敗北ではなく次に勝つための準備である
 私の愛読書、孫子の兵法に「十なれば、則ちこれを囲み、五なれば、則ちこれを攻め、倍すれば、則ちこれを分かち、敵すれば、則ちよくこれと戦い、少なければ、則ちこれを逃れ若からざれば、則ちこれを避く」というのがある。

「(自分の兵力が相手の)10倍あれば囲み、5倍なら攻撃をし、2倍なら、分断して、互角なら頑張って戦い、劣勢だと見たら退却し、勝ち目がないほど差があれば戦うな」という意味だ。

俚諺(りげん)にも「三十六計、逃げるに如かず」とあるが、「逃げる」という事は、敗北を意味するのではなく、「次に勝利するための準備で、積極的な作戦である」と認識すべきだ。人生のカギは差別化である。己を知り、敵を知れば百戦危うからず。自分の能力と潜在的なライバルの能力をしっかり見極めて、無駄な戦いは避けるべきだ。自分の能力や家庭環境、経済状況が現時点ではグローバルな舞台での競争に向かないとするなら、国内での成功に徹底的に適応させるのだ。

国内で豊かに生きる一つの切り口は高齢化社会だ。高齢化社会は高齢者が増えて、若者がいなくなり、社会の活力が失われ、負担ばかり増える暗い社会というネガティブなイメージで捉えられている。確かに皆がこのイメージを持っていれば、その通り暗い社会になるだろう。しかし、ひとたびこれからの時代をチャンスだと捉えれば、これ以上のチャンスはない。

まず何と言ってもこれだけ健康で豊かな高齢者をたくさん抱える国は世界でもかなり珍しい。日本の高齢者の8割が健常者で自立した生活ができる。65歳以上が個人金融資産の7割近くを保有している。内閣府の調査によれば、その90%以上が勤労意欲を持ち続けていることも日本の高齢者の特徴だ。さらに高齢者が持つのは健康やお金や勤労意欲だけではない。経験も人脈も、(当たり前だが)若者より豊富に持っている。彼らのニーズを知り、彼らに満足してもらえるようなケアができるのは日本に生まれ、同じ日本人として彼らと接してきたわれわれだけだ。

そのためには「社会の大半が現役世代」で、「高齢者の比率が1割以下」だった1950年代後半~60年代初頭に作られた社会のインフラや制度は大きく変えていかねばならない。たとえば、国民皆年金や皆保険は現役世代と高齢者の比率が9対1の時に設計された。それは今や2.4対1であり、今世紀半ばには1.2対1とほぼマンツーマンになる。信号機が青から赤に変わる速度は、歩行者が一秒に一メートルの速度で歩くことを前提に作られている。大学は18歳から22歳くらいまでの若者が学ぶ場所として設計されている。

これらの前提は大きく変えて設計し直すべきだろう。ここに大きなニーズと、日本人の活躍の場が間違いなく誕生する。この国で生まれ育った日本人の感性や経験が大いに意味を持ってくるだろう。多くの資産と経験と人脈と健康と勤労意欲を持つ高齢者の方々に満足してもらえる商品やサービスや雇用機会。日本に生まれ、「豊かな感性」と「他人の立場に立って考える配慮の精神」を育んできた我々が、いかにして開発させることができるか?また、日本社会のインフラや制度をどのような方向に持っていくべきか? ここにも日本で生まれ育ち、日本のインフラや社会制度、そしてそれらが抱えている課題を熟知する、我々日本人の出番がある。

●世界の先頭をひた走る、「課題先進国ニッポン」
私が特に強調したいのは、グローバルに戦うことを避け、国内で頑張ることは、単に「逃げること」ではない、という点だ。それは「次の勝利に向けて積極的に準備すること」につながるのだ。これからの変化に対応してよりよい高齢化社会を築くことに貢献できれば、それこそグローバルに戦えるチャンスをつかむことになる。それは、これから〝世界〟が日本を追いかけるように高齢化していくからに他ならない。我々は世界のトレンドのその先頭を走っているのだ。高齢化先進国日本で勝てれば、そのノウハウは世界が求める。そうすれば、世界で勝てる可能性がグッと高まる。

●高齢化社会の他にも多様な切り口がある。
日本は課題先進国なのだ。日本の課題はやがて世界が直面するもので、早めにこれに直面できるのは、経営戦略論でいう「時間の差別化で勝つ」ことなのだ。グローバル化、テクノロジーの進化は、簡単には差別化を許さない。世界のどこかで成功した差別化はあっという間にシェアされ、コピーされてしまう。「勝てる差別化」は誰よりも早くその差別化に取り掛かるという「時間の差別化」しかない。その時間の差別化を継続してできるシステムを作り上げたものだけが勝てる。時間の差別化を確立しやすいのは、課題先進国日本に生きる我々だ。世界に出る適性に不安があり、世界のトップエリート達と戦う準備が不十分と感じる人は、無理に世界に出て戦う必要はない。世界に出ることを忘れ、あらゆる国内の資源を深く掘ることに集中すべきだ。国内で勝つことは世界で勝つことにつながる。

この本では「国内にいて国内市場に対応しながら、やがてそれがグローバルに勝てる」という戦略を追求してみた。この本を読んで、グローバル化や高齢化に不安を感じている人々が、視点を変え、国内に特化してやっていくことにも大きな意義と可能性を見出し、即座に準備してくれれば、これ以上の幸いはない。課題先進国の課題に国内で世界の誰より早く果敢にチャレンジし、それを解決して「課題解決先進国」となり、グローバルに勝っていこうではないか!

この記事は私のブログからの転載です。