家族ぐるみの雇用が「性間格差」をもたらす

池田 信夫

ノア・スミスが安倍首相を賞賛しているポイントは、私もニューズウィークに書いたが、この原因は(外国人がよく誤解する)日本の儒教的伝統といった単純な問題ではない。


日本の女性は、伝統的には農作業の主な担い手だった。日本の農業は「勤勉革命」といわれる労働集約的なもので、女性は育児や家事だけをやっているわけではなかった。速水融氏によれば、1823年に記された農書では、公的な休日は1年間に男性27.5日、女性28.5日だった。

「専業主婦」という奇妙な現象が発生したのは、西洋でも近代以降だが、日本では戦後だった。都市化によって女性が農作業から解放される一方、男性がサラリーマンになって頻繁に転勤するようになったからだ。これは市場の変化を内部労働市場で調整するシステムとしてはすぐれていたが、転勤のときは妻が会社を辞めなければならない。

日本的雇用慣行では、男性は定年までの雇用を保障される代わりに残業も転勤も断れない「奉公人」の立場に置かれる。その代わり、彼は家庭内では「家長」として家族を養う義務を負うので、会社も被扶養者の数に応じて賃金を増やし、政府も専業主婦には社会保険料や所得税を免除している。

そして「終身雇用」のもとでは、総合職の女性も、いったん辞めたあと再就職するときは、パートタイマーしかない。よく「若者の雇用が不安定でかわいそうだ」というが、実は非正社員の半分以上は図のように主婦のパートであり、問題は世代間格差だけではなく性間格差なのだ。

だからこれは、安倍首相のように女性役員を増やすといったaffirmative actionで是正できるほど簡単な問題ではない。会社が「家族ぐるみで定年まで面倒を見る」という古い雇用慣行と、それを補強している社会保障制度を変えない限り、単なる「性差別」として騒いでも解決しないのだ。