新聞を毎日読む必要あるの?-「週三回新聞」の隠れたヒント!

北村 隆司

TVの「放送休止日」は考えられないが、テレビやネット時代の現在、新聞を毎日読むのも「必要」と言うより、単なる「慣習」になりつつあるのでは? と思うほどだ。

このように「速報ニュース」に果たす新聞の役割は日に日に弱まり、「新聞休刊日」の不合理に文句を言うのも面倒になった。


この傾向に気がついた「The Times-Picayune」と言う新聞は、経費節約も兼ねて、昨年秋に日刊を廃止して「週三日」発行にに切り替えた。

「The Times-Picayune」は、ジャズの発祥地とされる音楽の都「ニューオーリンズ」に本拠を置く1837年創刊の伝統ある新聞である。

歴史の古さに加え、その最盛期には文豪ウイリアム・フォークナーやO.ヘンリーが勤務した事があり、1997年にはピューリッツァー賞も受賞した位だから、そこらの「三文地方紙」ではない。

この名門新聞社が、黒字経営でありながら「日刊」廃止を発表した時には、ニューオーリンズの有力者を中心に反対運動が広まり、同社の買取運動にまで発展したと言う。

4月30日の「NYタイムズ」の記事によると、半年間の「週三回新聞」の実験に自信を得た同社は、「水、金、日」発行のThe Times-Picayuneに加え、「月、火、木」にタブロイド版の「TPStreet」を発行する事を決めたという。

この記事によると、The Times-Picayune紙は店頭販売に加えて宅配もするが、タブロイド版の「TPStreet」は宅配はしないと言う。

普通なら、解り易く「月、水、金」と「火、木、土」に分ける処を、「水、金、日」と「月、火、木」に分け、「土曜日」を休刊日にした理由は不明だが、多分、各種の需要調査を重ねて出された結論に違いない。

「五月三日」は、憲法記念日でもあるが「世界報道の自由の日」でもある。

「報道の自由の日」を機に、新聞協会も読者の不満解消と将来の経営危機に備えて「自由な発想」で、新しい工夫をしてみたらどうだろうか?

日本の国民は、新聞社の過当競争による醜いスクープ争いや過熱取材に辟易としている上に、全く個性のない記事の羅列には多いに失望している。

新聞が切磋琢磨を繰り返す欧米に比べ、客観性、実証性, 公正性のレベルの低い日本の新聞の悪影響は異常に大きく、慰安婦問題や憲法問題の様な重要問題でも冷静な対話も出来ず、党派的な非難の応酬に終始する国民性を作ってしまった。

これ等の日本の新聞の弊害や新聞社の無駄を無くすための実験として、「朝日」「読売」「産経」各社が、夫々の責任で、週二回ずつ順番で紙面を担当し、「毎日」は経営も苦しい様だから、特徴のある執筆者を集めた囲み記事を中心にした「サンデー毎日」として、残った一日を担当する共同新聞の発行を導入したらどうだろう。

「日経」は株価の報道もあるので「朝日」「読売」「産経」の当番日でも「日経ビジネス」として記事を毎日掲載したら良い。

これが実現すれば、各社の独立性は失わす、読者は異なる主張を読み合わせて見識を磨く事が容易になる。

こうして、厳しい見解を身に着けた読者が、鋭い批判を各社に浴びせる事が出来れば、新聞のレベルも向上するに違いない。

更に、掲示板の様な何の変哲も無い「ニュース報道」の重複の無駄を避ければ、浮いた資源を紙面や調査、検証のの充実に当てる事も可能になり、世界に肩を並べる水準の高いメデイアになる希望も持てる。

新聞の質を決める調査報道、論調などは、スピードより内容が重要であり、毎日報道する必要はなく「週二回当番制」でも全く問題ない。

紙面が充実し分量も増えれば広告収入も増え、ページあたり世界で最も高いページ当たり世界で一番高価な、質量ともに「ぺらぺら」な新聞のの実質的な値下げにもつながり、これを機に、日本の新聞業界の質的再編成が進めばこれに勝るものはない。

新聞販売店の慰労・休暇や輪転印刷機のメンテナンスを目的に、「新聞休刊日」と言う世界に類例のない「アイデア」を実行した「新聞協会」なら、香港でも「一国二制度」を実現したくらいだから、「一紙、多編集制」の導入し、偶には読者の立場に立った「質の向上」と経営の「無駄の排除」を目指すことくらいは、「朝飯前」だと期待したい。

2013年5月3日
北村 隆司