憲法改正には、国民投票で過半数の賛成を得て決定されることは自然なことと考えます。
その前に、国会での3分の2の賛成が必要となりますが、このことは決して高いハードルでは無いと考えます。
国民投票で賛成多数となる内容であれば、国民の代表たる国会議員の多くが賛成できる。そのように議論していくことが政治家の責務でありましょう。
主権回復から61年、その間に国会で議論して、憲法改正ができる状況が皆無であったとは思えません。過去に憲法改正が無かったことは、憲法の条文に問題があるのではなく、過去に政治を担ってきた政治家の怠慢であるとみなすこともできます。
この機会に、現在提示されている改正憲法草案を自民党案を中心に、みんなの党、日本維新の会と見比べて、果たして国民投票で賛成多数となる内容といえるのか考えてみましょう。
●自由民主党 2012年 (原文はこちら)
全体の印象として、天皇元首、軍隊承認と勇ましいが、現代の民主主義国家の普遍的な憲法であるにもかかわらず、国民の権利を守る意識が著しく後退しています。支配者(国王・天皇)が国民に授ける欽定憲法の趣があまりにも強いのです。
特筆すべき点として、
・12条では、現憲法では人権保障が主旨でしたが、自民党案は「国民の責務」という表題にしていまして、国民に義務づけしたいという主張が著しく強く感じられます。
人権を制約する文言は現憲法が「公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」に対して、自民党案が「公益及び公の秩序に反してはならない」と、国民の権利を制限する色彩を強めています。
問題なのは、人権規定においてこれだけ大きな変更であるのに、概要では何ら言及していないことです。
・13条では、現憲法が「すべて国民は、個人として尊重される」に対して、自民党案が「すべて国民は、人として尊重される」。
言葉の感じ方かもしれませんが、”人”よりも”個人”として尊重される方が人間らしかったのではないかと感じます。
・24条では、「家族は、互いに助け合わなければならない」を追加。これは、自民党の重要な理念であるが、国家に命ぜられるまでもなく、家族は助け合って成り立っている。なぜ義務づけまでされなければならないのか。また、不幸にも家族の輪から漏れ落ちていいた人間は、どんな不利益をうけるのか。義務づけの裏にある政策が懸念されます。
・国会の選挙区は人口を基本とし、行政区画等を総合的に勘案して定める。
人口を基準にした投票価値の平等を求める判例が出ており、定数是正の議論が行われる真っただ中において、投票価値の考え方を変更するものです。現在の議員の既得権益を大切にしたいという考え方なのでしょう。
・憲法改正の発議要件を衆参それぞれの過半数に緩和。
・現憲法には無かった国民の憲法尊重義務を規定する一方、天皇の憲法尊重義務を削除しています。支配者(国王・天皇)が国民に授ける欽定憲法の趣が最も強く表れている条項です。
●みんなの党(最高顧問 江口克彦参議院議員私案より)
・9条(戦争放棄)は、内閣の後においています(82条)。9条を特別扱いする自体の終わりを告げています。これで、日本国憲法の平和主義の特徴はなくなります。
・みんなの党の根本政策である道州制を定めます。
・内閣総理大臣を国民による直接投票で選出します。
ちなみに、首相・大臣ともに国会議員要件はありません。
・憲法改正の発議要件を国会の過半数に緩和。
●日本維新の会
日本維新の会としての憲法改正案は確認できていませんが、旧たちあがれ日本の憲法改正案のうち人権規定についてふれておきます。
国民の権利について、「公共の福祉」ではなくて、
「国の安全」、「公の秩序」、「国民の健康または道徳その他の公共の利益」と具体的な概念で制約することとしています。
権利の制約概念を「公益及び公の秩序」とする自民党案に比べると、「道徳」にまで広げたということで、より国民の利益侵害の度を強めています。
道徳に反する行為は慎むべきですが、道徳に反すれば、即、法律違反。大正・明治ではなく、聖徳太子の時代にまで原点回帰してしまうつもりかもしれません。
平沼赳夫氏が中心に作成された案なので、弁護士として法を理解している橋下徹氏が議論に加われば、このような考え方は消滅することを期待されます。
●民主党では、憲法改正をしようとの組織決定はありません。
現実論として、国民の半数が承認できる憲法改正にはなりえません。
そうした状況の中、国会の憲法改正発議の要件だけ、緩和しようとするのは、国会で議論をする責任を放棄しているといえます。
岡 高志
大田区議会議員