外務大臣経験者で中国の要人とも親しい川口頼子議員が出張伸ばして帰国が遅れたと言って委員長解任されるらしい。ホントくだらない。この時期だから重要法案の審議でもなかろうに。外交力ある議員が国益のために外でもっと活動できるように、この機会を利用して国会の悪しき慣習をただすべきだ。
議員になりたての頃、発言権のない多くの議員が定足数というわけのわからない制度のために、委員会室の豪華だが腰にはよくなさそうな椅子に黙って座り続け、くだらない質問と判で押したような答弁を聞き続けなければならないのが意味わからなかった。こんな非効率な議員の活用の仕方は欧米にはない。欧米諸国の委員会運営は、政府に聞きたいこと・問いただしたいことがある質問者と、それに詳しい官僚でやっている。
総理大臣や閣僚を国会運営に拘束しすぎたし、議員も国会に拘束され過ぎ。国会は国権の最高機関だが、だからといって誰でも彼でも非効率に拘束すればいいのではない。諸経費入れたら血税補てんによる議員の時給は相当高い。もっと議員の時間を有効に使うべきだ。国益のために!
日本の政治家の質は決して低くない。問題は政治家も政府三役も国会に縛られ過ぎ。総理も閣僚も、あんなに国会に座らされている国はない。質問しない議員があんなに国会に拘束されている国はない。議会を離れ、世界中の議員と意見交換するようになって、日本の国会がいかに異常かわかってきた。
選挙もそう。アメリカは別として、同じ議院内閣制の欧州諸国と比較して、日本は政界参入のコストが異常に高い。費用も選挙対策にかける時間も労力も。日本が学んだ英国には、街宣車もポスターもない。選挙費用も国政で300万ほど。これほど政治家や閣僚に仕事をさせない政界は、欧米にはない。
日本の政治家は、意外と、自分たちの議会や選挙のスタンダードが世界では異常であると気付いていない。私は初めてアメリカ議会を見て愕然した。質問者と答弁者しか議会にいない。定足数なんてない。政治家に勉強や自主的活動の時間がないのが日本。
他国の議会人との交流はあるが、選挙や議会の様子まで生々しく意見交換する場は意外と少ない。お互いが同じようなものだろうと思っている。街宣車に乗って、12時間選挙区を回り、ポスターを張りまくり、多額の借金をして選挙している候補者は新興国は知らないが先進国では絶滅している。
欧米の政治家から見たら、信じられない予定をけなげにこなし、長期的鳥瞰図的視野をうばわれ、疲れて、目先しか見えなくなりがち。
能力があり、志も高い新人議員は昔からたくさん当選しているが、彼らは先輩に代わって委員会にひたすら座り、その合間を縫って、冠婚葬祭で選挙区を駆け回る。その間に、あっという間に時は過ぎ、日本の問題は複雑高度化し、日本のことを真摯に考える時間も能力もなくなる。
これ以上日本の政治家を、本当に国益のためになること以外で忙しくさせてはいけないと思う。週に三往復くらい選挙区と国会を行き来し、毎晩数件の会合をこなし、朝から勉強会。こんなことを何年も生産的に続けられるわけはない。
日本の政治家がいかにガラパゴス的に多忙か、政治記者も評論家も海外事情を知らないから指摘できない。だから、批判が的外れ。問題のへそは、国会と選挙区の忙しさから日本の政治家を解放し、世界を、直面する日本の課題をを深く勉強させること。
こんなに政治家を非生産的に忙しくさせていたら、英気を養っている海外の政治家とやりあえない。それに何より、家族に大変な犠牲を強いる。最近某大物議員から「俺はかなり出世した方だが、建前は別として、事実上家族は失った。後悔している。」と告白された。何とも言えない気持ちになって返す言葉もなかった。
異常な忙しさに耐え、国民やメディアから褒められることはほとんどなく、仮面家族と化して、頑張っている政治家がたくさんいる。選挙は資金的にも家族的にも転職可能性の低さからも、ほとんどの政治家が背水の陣だ。これで本人のためにも国家のためにいいのか? それが問題だ
総理、閣僚、政治家を多忙にして得をするのはだれか?幹部官僚だと思う。下っ端官僚は国会にしばりつけられる議員や政府三役のつまらない質問と答弁作りに奔走させられ、政治家に負けないくらい疲弊している。
一番ゆったりとした時間を持っているのは間違いなく幹部官僚。彼らが政治家を思考停止に陥るほど多忙にさせている元凶だと思う。これが修正できるのは政治家しかいない。国民に実情を知ってもらい、国民の理解のもと、国会運営から選挙まで政治家とわれわれで変えていかないといけない。
この記事は田村耕太郎のブログからの引用です