経済理論は政治的に選択されるという話 ~官僚もサラリーマンなり~ --- うさみ のりや

アゴラ

とある飲み会でたまたま後輩官僚にあったので、一緒にラーメン食べにいきました。その時話した内容です。

アベノミクスがらみで「ハイパーインフレが起きないか」というような国会質問が良くある。一応政府としては立場上「それは起きない」と言っているものの、心の底では「今は良くても将来的に本当に大丈夫なのか?」と不安に思っている自分がいる。官僚という立場と、自分の思想との間の葛藤を感じる。


結局経済理論というのは合目的に政治に都合がいい理論が採択される。現在の政治はなんだかんだ団塊の世代中心に動いてる。人口と投票率を加味して考えると、政治はそうならざるを得ない。彼らの世代の一番の関心は年金。年金が維持される為には、経済が成長し、物価と賃金が上昇しなければならない。そういう政治上の制約の下で、都合のいいリフレ理論が政府に採用されているという現状。

政府の長期試算や戦略というのは、将来のことを述べているのではなく、当座の政治に都合の良い将来を描いて、問題を先送りするために作られてる。そういう政策が支持されるということは今の日本は本質的には改革を求めていないということ。日本人は「先送り」を求めている。官僚としては残念ながらそれに応える義務がある。

厚生年金の一次データを眺める限りは、10年か15年後くらいには日本が絶望的な状況に陥るのは間違いないと思うが、それでも先送りするしかない。繰り返しになるが官僚としてはそういう政治的意思の下に、その為の経済理論と経済政策を作るのが仕事だ。そしてそれが民主主義を支えるということだ。

つまり「政治的選択としての経済政策が経済という観点で間違っていようが、それは政治として正しい」ということなんだろう。個人的にできることは、今のうちから将来を見越して「いざという時必要な政策」の頭をひねっておくことくらいしかない。大衆意思の大きな流れには政治家も官僚も逆らえない。

ま、官僚もサラリーマンってことですね。
ではでは今日はこんなところで。


編集部より:このブログは「うさみのりやのブログGT~三十路の元官僚、独立するの巻~」2013年5月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はうさみのりやのブログGT~三十路の元官僚、独立するの巻~をご覧ください。