最近東大時代の同級生とよく飲みに行きます。
みんな異口同音に言うのは
「宇佐美よく決断したな~。そのままだったら安泰の人生だったのに。」
ってことです。
東大の同級生ですから、みなさん総合商社なり有名金融機関なり新進気鋭のベンチャーなりコンサルなりそれなりの高待遇のポジションにいます。
そういう人達に取って会社を辞めて起業するっていうのは取りにくい選択肢なわけです。ましてや結婚なんかしてればなおさらです。一度正社員総合職という安定な地位を捨てるとそこに戻ることは難しいので、日本人にとって起業するっていうのはとても損な選択肢なんですよね。
頭のいい方々の多くは、みんな口ではスティーブジョブズや孫正義に憧れるようなことを言いつつも、本気でそうなろうとする人はほとんどいない。
だから「就活のためにジョブズの伝記を読め」なんていう意味不明な広告が高田馬場駅に貼られたりするわけです。普通に考えりゃジョブズが就活なんてするはずねぇよと思うんですが。早稲田の学生はあれを見てどう思ってるのかな。
そんな訳で同じ最高学府でもアメリカのハーバードなんかとは違って、東大生で起業して成功している奴ってのはほとんどいません。皆さん多くはどこかの会社の正社員として勤めていらっしゃいます。
じゃそんな高学歴な人材がわんさか集まっている大企業は調子が良いのかというと、そこは皆さんご存知の通りで、グローバルに見ると(少なくとも最終消費材分野は)韓国企業なんかに押されがちで、国内で何とか儲けを担保する企業が多い現状です。
さらに世間一般では「新卒に高学歴者が増えるとその会社は衰退期に入る前兆を迎えている」なんて言われる始末です。
学歴が優秀さの一種のシンボルになっていると仮定すれば(この仮定自体が間違っているのかもしれませんが)、一応はポテンシャルを持った優秀な人が集まって来ているはずなのに、なんでそうなるかっていうのは結構難しい問題だと思うんですが、僕はその理由は
「高学歴者の多くは守りの人材になってしまう」
ってとこにあると思うんですよね。
今の日本は残念ながら身分制みたいなものができてしまってて、「いい学校入って、いい大学入って、新卒でいい会社に安定した立場で入る」ような正社員族と、その正社員にいいように使われる派遣族と、そういう道からどこかで外れてしまって地べたを這いずり回っていつ飢えるともわからない中で自分の伸し上がる道を探す起業家族がいるようなイメージを僕は持っています。
高学歴の方々のほとんどは正社員族で、そういう人は既存の秩序を壊されて自分の立ち位置が不安定になってはたまったものではありませんから、派遣族を使い倒し、起業家族を飼いならすことにその能力を使うことになります。
つまりは守りに入ってしまうわけで、こうして日本社会からはながらくダイナミズムが失われています。ただこういう内向きな理屈は国外に通じないですから、ハングリーな国の新進気鋭な企業にどんどんシェアを奪われてしまっているのが現状なのかなと思っています。
私が思うに、本当に日本にダイナミズムを取り戻したいなら、高学歴者のようなポテンシャルを持った方々の実力を「守り」の方向ではなく、「攻め」の方向に向かわせるような制度改正ってものを考えた方がいいと思うんですよね。
要は雇用法制・慣習をそろそろ全面的に見直してもいいんじゃないか、ってこと何ですけどね。正社員総合職の魅力が相対的に落ちれば、チャレンジしようっていう人も増えるはずです。
ちょっと単純化し過ぎかもしれませんが、最近思っていることです。
編集部より:このブログは「うさみのりやのブログ」2013年2月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はうさみのりやのブログをご覧ください。