30年たって実現した自動翻訳電話 --- 中村 伊知哉

アゴラ

NTTドコモが英語・中国語・韓国語・ドイツ語・フランス語・イタリア語・スペイン語・ポルトガル語・タイ語・インドネシア語の10カ国語に対応した会話翻訳アプリを提供しはじめました。クラウドのサービス。対面や電話で利用することができるといいます。


日本語の認識精度が90%、英語が80%程度といいます。おそらくこれはビッグデータを使ったデータベースの増強により、急速に向上していくでしょう。ネット上ではエキサイト翻訳やグーグル翻訳が活躍してきましたけど、いよいよ会話の本格実用です。

人一倍、感動しています。
ぼくは世界で初めて、自動翻訳電話に関わったからです。
ホントです。

昭和60年、1985年、「自動翻訳電話システム開発マスタープラン」が政府・郵政省から発表されました。ぼくが取りまとめ役でした。社会人になって初めての仕事でした。

前年、1984年、役所に入ったぼくは、通信自由化、郵政・通産戦争、対米交渉の最前線、データ通信課に配属されました。全20名でその仕事をこなす狂乱の職場でしたが、それなのに、通産省が進めていた第五世代コンピュータという国家プロジェクトの向こうを張り、第六世代の人工知能を必要とする通信プロジェクトを立ち上げてしまったのです。新人のくせに、周りがあまりに多忙なため、オマエやれ、と任されました。

動機は不純でした。翌年の電電公社民営化により、NTT株2兆円が政府に入る、それをいただけないでしょうか、当時の郵政省の政策予算200億円の100倍でっせ、ピクピクしまんがな。そのために、巨額の研究開発費を要するプロジェクトを用意しようとしたわけです。

やろうという方針は出たけれど、どうしていいかわからず、母校に頼もうと思い、教授になったばかりの京都大学長尾先生を突撃し、座長になっていただきました。京大学長や国会図書館長にまで上られる偉い先生とは知りませんでした。音声入力、機械翻訳、音声合成の三要素を組み合わせて一つのシステムを作る。巨大なデータベースの構築が必要になる。学界や関係業界による大型プロジェクトを作るための研究会を設け、プランを作っていました。

山場は1984年の暮れ。2兆円を郵政省が取る企ては大蔵省にあえなく潰されましたが、国庫に入る様式の運用益を研究開発に回そうという件はまとまりました。でも、それを受け持つスクラップ組織を通産省が差し出していたため、郵政省が参加させてもらうために熾烈な政治抗争が持ち上がりました。

研究開発への投融資制度の設計、自動翻訳電話を含む具体的なプロジェクトのラインアップ、投融資とR&Dの組織作り、それらを一週間で揃えて闘う必要がありました。投融資組織なんて全く経験のない郵政省は、日本興業銀行や第一勧業銀行を恫喝するかのように人材を出してもらって泊まり込みで知恵を絞ってもらいました。そのうんと後にその銀行が合併するなど思いもよりませんでした。

すさまじい年末でした。一週間で10時間しか眠りませんでした。でも人間、何とかなると知りました。社会人一年生でそれを経験させてもらったのが人生最大の収入です。郵政・通産・大蔵の調停役は橋本龍太郎さんでした。最後、全部を足して3で割る決着となりました。政治決着の瞬間、それを聞いた首謀者・内海善雄課長、その後国連機関ITUの事務総長に上られました、が、胸を押さえてバタッと倒れたスローモーションを覚えています。

内海さんは当時42歳。若いなぁ。昔の役人は、若いころに巨大な仕事をしていたんだなぁ。

投融資機関として基盤技術研究促進センターが設立されて、そこから京阪奈学研都市にATR(国際電気通信基礎技術研究所)が設けられることになりました。

ATRは世界的に著名なメディア研究機関に成長しました。ぼくは生みの親の一人です。そう主張する人はたくさんいるかもしれませんが、ぼくも主張します。

さて、あれから30年近く。自動翻訳電話が実現しました。もう一つ、感動的なことは、当時想像していた姿とは全く違っていたことです。ぼくらが思い描いていたのは、黒電話で話す中身が回線交換を通じ海外の人に翻訳される姿。当時、日米の電話代は3分1530円でした。企業ユーザがどれくらい使うかね、というイメージ。だから、研究の中心は、国際通信を法的独占していたKDDの研究所でした。

ところが、実現してみたら、それはスマートフォンというモバイル端末を使って、インターネットという通信網で翻訳される。ほぼタダ。しかも、海外の人とつながるというより、目の前にいる対話相手に対し、ネット経由で通訳してもらうという使用法。それを開発したのがKDDじゃなくて電電公社の末裔。じぇんじぇんちゃうやん。

おもしろいです。メディアは。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2013年5月27日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。