広島県安芸高田市で多文化共生を推し進めることが話題になっています。少子高齢化が進む中、市町村が一定の地位を維持するためには人口増が欠かせない課題となります。即効性ある対策としては外国人居住者の積極的受け入れだと思いますが、今般、安芸高田市では外国人とうまくやっていくという政策を推進するようです。
人口わずか3万人の同市にとって将来の人口減が明白に予想されている中、いち早く対策に打って出たことについては大いなる評価が出来るかと思います。
外国人受け入れについては民主党政権の初期、小沢一郎氏や鳩山一郎氏が外国人参政権に言及し議論を巻き起こしました。事実、民主党は2011年までは外国人でも党員になれるものとしておりましたが、世論をにぎわした結果、サポーターのみ外国人も可能と変更いたしました。この時、なぜ、議論を巻き起こしたかといえば外国人の党員の影響が国政に影響を与えるためであり、それが当時の与党であった民主党において行われていたことが問題視されたものだったと認識しています。
一方で日本国内の少子高齢化にともなう人口減は明白であり、経済を一定水準に維持するためには出生率を上げたり、欧米では移民を受け入れることは常套手段となっています。ところが日本や韓国のように極めて厳しい移民政策を取っている国においては外国人の参政権以前の問題であって、極論すれば、外国人が住む町を所長村民が容認するか、というレベルの話ではないでしょうか?
まさに市町村レベル、近隣レベルでの「開国」「尊皇攘夷」という議論なのだろうと思います。
東京など大都市では確かに居住する外国人は駐在員など日本人の一般庶民よりはるかに豪勢な暮らしをしている人も多く見受けられるかもしれませんが、地方都市の工場などで働く外国人労働者を雇用するエリアに行けばそれなりに悩ましい問題を抱えているところもあるのでしょう。むしろ外国人の行動規範が日本人のそれとかけ離れているため、それを受け入れる素地がない、といった方がよいのかもしれません。
私の元同僚がポルトガル人と結婚し、会社の家族寮に住んでいたのですが、窓からごみを捨てたことが寮内にとどまらず、会社にまで響き渡りちょっとした話題になったことがあります。確かにポルトガルの一部では窓からごみを捨てる習慣はあったらしく、当人はなんの躊躇もなくそれをしたのだろうと思いますが、社宅の奥様方からすれば当然受け入れられる話ではないということだったと思います。同僚はかなり悩み、結局家族寮生活をあきらめたのですが、こういう話が「やっぱり外国人は…」というイメージになっていくのかと思います。
ほぼ単一民族の日本人にとっては大衆と違う行動をとるのは禁則的な発想が根強いと思いますが、海外ではまったく逆で自己主張が強いのが特徴かと思います。まさに水と油的であり、更に困ったことにコミュニケーションもスムーズに出来ないとなれば確かにお手上げだろうとは思います。
しかし、発想を変えればだからゆえに海外とうまくやり取りできないという見方も出来るのかもしれません。皆さんの周りに中国や韓国人の友人や知り合いがいれば会話を通じて思わぬ発見があるはずです。価値観が違うのは当たり前でどちらが正解という択一問題に挑戦しているわけではなく、お互いの考え方を共有するという発想がコミュニティにおける共生の第一歩だと思います。
そういう点で市町村レベルでそれをサポートするという安芸高田市の試みは大いに評価できると思います。また、これを気に他の市町村でもそのような動きが出てくれば対話を通じた新たなる認識が出来ることでしょう。
双方の認識には忍耐強さも当然必要になります。いやなことばかりを考えずに広い心で外国人を受け入れるのは成熟国日本にとって新たなるチャレンジとして重要な課題になるのではないでしょうか?
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年5月26日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。