我々は中国の政治状況についてどれだけ知っているか?

松本 徹三

日本人の多くが中国の現状と将来像について大きな関心を持っているのは当然の事だ。巨大な人口を擁する隣国である中国への経済的な依存度が今後ともますます高まっていくのは自明であるように思える一方で、巨大な専制国家である中国が今後あらゆる局面で日本の国益を脅かす存在になるのではないかという恐怖感も拭えないからだ。


こういう状況下で、中国について報道し且つ論評する事は、新聞社や出版社にとっては大きな収入源の一つと見做されている事だろう。しかし、それにしては、その内容はかなりお粗末と言わざるを得ない。いや、この言い方は正しくない。大きな収入源だからこそ、報道や論評の中身は大味でステレオタイプなものになり、中には「単純に反中意識を煽るような論調」も多くなっているのかもしれない。

実際には、中国のような巨大な国の実情は、単純な文脈では語り尽くせるものではない。しかし、政治家は、一般大衆がいつも単純明快な文脈を求めている事をよく知っているから、これに迎合しようとする。それによって日本の長期的な対中政策が影響を受けるとすれば、これは懸念すべき事だ。

新任の習近平主席は「中華民族の偉大な復興」をキャッチフレーズとして掲げ、「富国強兵路線」を志向する姿勢をあらわにした。2003年に江沢民の後を継いで国家主席の座についた胡錦濤氏が、「平和発展」と「調和社会の構築」を掲げたのとは好対照をなす。背景をよく知らない人達がこの事だけを見れば、習近平氏を相当誤解するだろう。

現在中国が抱える最大の問題は、第一は「経済問題」、即ち、現時点では「9%を超える経済成長率を維持する」のが困難になりつつあり、成長率が9%を割ると税収が極端に減る為、種々の国家目標の遂行が困難になる事である。

私は長い間「何故7.5%もの高成長率で不満なのか?」と訝しく思っていたが、中国には「破綻の可能性を秘めた企業」が極めて多く、こういった企業は、成長率が一定以上ないと、即ち経済全体がブーム状態にないと、たちまち破綻するか、少なくとも納税が不可能な状態になるだろうという事らしい。

そして、第二の問題は、「貧富格差の拡大に対する民衆の不満の鬱積」である。こちらの方は、政治体制を揺るがす問題故、経済の問題等よりずっと深刻な筈なのだが、「民衆の不満をガス抜きしていくにも、経済がブーム状態になっていないと困る」いう悩みが中国政府にはあるようだ。

ところで、中国の税制度については、多くの日本人は殆ど知らないと思うが、全税収に対する消費税の比率は現時点で60%を超えている。「固定資産税」や「相続税」というものは存在せず、「所得税の徴収は穴だらけ」というのが現状のようだ。所得税が何故うまく取れていないかと言えば、経験の蓄積もなく、システムも不備である上に、税務当局と党の実力者との不透明な関係が日常茶飯事になってしまっているからだろう。

税制がこんな状況では、現時点で既に過大になっている「貧富の差」が、縮まるどころか、これからますます大きくなっていくのは火を見るより明らかだ。「累進率の高い所得税」が税収の主要部分を占めている上に、「固定資産税」や「相続税」のような「金持ちから取り立てる税」もしっかり取り、その分だけ「消費税」が極めて低いレベルに長年の間抑えられてきた日本と比べれば、この差は凄まじいばかりに大きい。もし中国をなおも「共産主義国家」と呼ぶのなら、日本はさしずめ「究極の共産主義国家」と呼ばれても然るべきだろう。

(尤も、「相続税」については、一般の中国人も、恐らくは「そんな無茶な税が外国にはあるのか?」という感覚だろう。これは韓国にも或る程度共通する事だとは思うが、長年にわたり「儒教」が全ての人達の価値観と政治理念の基礎になってきた国では、「親、子、孫」は一体であり、「自分が豊かになる為に働く」という事は「自分の一族が豊かになる為に働く」のと同義だからだ。シュンペーターを引き合いに出すまでもなく、資本主義体制の推進力は「豊かになりたい」という人間の「意欲」だが、このような国では、「相続税」を取って子や孫を豊かにするという保証をなくしてしまえば、このような「意欲」は薄まってしまうだろうというわけだ)

さて、話が若干それたが、中国では、今や「民衆の不満」はもはや抑えきれない段階にきている。この事は、胡錦濤氏や温家宝氏、そして、胡錦濤氏が最も信頼していた李克強氏だけでなく、習近平氏も当然知っている。また、これを抑える為には、日常公然と行われている「権限の乱用」や「汚職」、そしてこれに支えられているとしか解釈出来ない「党幹部の目に余る蓄財」を摘発するのが一番良いという事も、彼等は当然知っている。

しかし、これをやり出すと、芋づる式に次々に色々な問題が表に出て、「全ての大幹部に累が及びかねない」という深刻な問題がある為、どうにも手が出せないというのが、この問題の難しいところであるように思える。比較的清廉潔白な党幹部といえども、現在の地位を得る為には、他の大幹部や党の長老の子弟から警戒されない事が必要だから、「或る程度は自らも不正蓄財に似たような事に手を染めた」というような事も、或いはあるかもしれない。

さて、多くの人達が理解しているように、中国のような政治構造下では、「権力闘争」は必然的に日常茶飯事となる。従って、今回のような10年に一度の指導者の交代に当たっては、我々の想像を絶するような「権力闘争」があり、それがなお続いていると見るのが妥当だろう。この闘争の根幹は「共青同」対「太子党」であり、習近平主席は「太子党」、李克強首相は「共青同」だ。そして、「太子党」の後盾は「軍」であり、権力闘争が相当のレベルに達すれば、「軍」がキャステリングボードを握る事は必然である。

こう見れば、習近平主席が「富国強兵」を謳わざるを得ないのは当然とも言える。財政逼迫の折から、「軍備の強化」に大義名分が与えられねば、「軍事予算」の増強はかなわず、「軍事予算」を増強せねば、「軍の支持」を勝ち得るのは難しいからだ。また、国民の不満をそらす為に、意図的に外部の脅威を大きく見せて「愛国主義」を鼓舞するという事は、どの国の為政者も、どの時代にもやってきた事だ。江沢民元主席も「天安門事件」の後には特にこれに力を入れた。

考えてみれば、実際には、「現在の中国ほど軍事予算を削りやすい国はない」と言ってもよいのではないかと思う。世界中のどこにも、中国に侵攻しようと考えるような国はある筈はないからだ。

チベットやウィグル問題、更には人権問題やサイバー攻撃問題で、米国が中国を如何に非難しようとも、その為に米国が中国にミサイルを撃ち込んだり、中国本土に上陸作戦を敢行したりするなどという事は、金輪際あり得ない。では、中国が巨大な軍事力を必要とするのは、一体どういう事態を想定しての事なのかと問われれば、中国当局としても、全く説明のしようがないのではないだろうか?

逆に、今中国が軍備を増強させれば、「中華思想」を前面に押し出した「中国の拡大主義」が、これからいよいよ始まるのかと、周辺各国は身構えるのが当然だ。ベトナムやフィリピン、日本は勿論、これらの国々に権益を持つ米国も対抗策を考えざるを得ない。更には、中国と長い国境線を持つロシアや、パキスタンと中国の結びつきを恐れるインドも、当然身構えざるを得ない。外交的に見れば、どう考えても「中国に取って百害あって一利もない」のが今回の宣言だ。

にもかかわらず、習近平氏が今回敢えてこのような政策を掲げたのは、彼が「中華思想」の持ち主で好戦的なのでは勿論なく、彼の政権の存立基盤が如何に微妙な力学的バランスの上にあるかを示していると理解すべきであろう。

実際、彼の基盤である太子党の中にも、二人の制服組の副主席が主席以上の強い力を持っていると言われる軍の中にも、既に多くの派閥抗争があると漏れ聞いている。また、それぞれの持つ利権の維持に腐心する先輩格の党の大幹部達が完全に引退するのにも、後5年はかかるだろうとも言われている。だから、当分の間、彼は気の休まる暇もないし、「汚職の根絶」に大鉈を振るう事も出来ないだろう。

しかし、抑えても、抑えても、ネット社会は中国でも着実に拡大している。中国の民衆のもつ情報は、質量ともに既に結構豊富であり、民衆の問題意識は、既に「愛国主義の鼓舞」に簡単に乗せられる程単純ではなくなっていると思う。

現在の中国人の40%弱は「現体制維持派(左派)」だが、8%程度は「改革開放派」であり、残りの50%強は「中間派」、即ち「状況次第でどのようにも転ぶ」と見られている。複雑に絡み合った「利権構造」に習近平氏が大鉈を振るえる状況が訪れるのが早いか、「遂に耐えきれなくなった民衆が至る所で蜂起して、中国全土が大混乱に陥る」のが早いのか、現状ではこの予測は極めて難しいと言える。