必ずコケます到達度テスト --- ヨハネス 山城

アゴラ

嫌な予感ちゅうもんはホンマによう当たる。来たらイヤやなぁと思っていたら、やっぱりやって来た。だいたい、経済で失敗した政治家が、いじりに行くのが教育や。アベノミクスの張りぼてが、ボロを出し始めたら、やっぱりおいでなすった。

教育再生実行会議。ネーミングの段階から不安になる。こういう連中を政府が使わなしゃあないのでは、よほど人材が不足しておるからで、教育改革が必要というわけやな。


断っておくが、ワシ、あんまり教育のことを簡単に判断するの好きやない。最悪と思われる教員が最良の結果を出したり。誰が見ても良さそうな改革が、生徒を狂わせたりする。今回、提案されている到達度テストとやらも、それで伸びる生徒や、大化けするヤツもきっとおるはずや。

そやけど、この改革。成果が出る前に学校システムが保たなくなる可能性が高い。喜ぶのは塾・予備校関係者ばかりや。それでもええのか、という話や。

今回の改革。簡単に言えば、センター試験を年に数回しようという話や。それも、高2から受験できるようになる。ということは、少なくとも国公立大学を目指す生徒にとって、高校生活の大部分は受験勉強ということになる。

基本的に、学校行事というものは無くなると考えてええ。部活動も、国公立進学予定者には無縁なものになるやろ。入学式が終わったとたん、入試まで1年ちょっととなったら、高校というものの雰囲気は、様変わりするで。

「複数回受けられるのだから、行事や部活もやりながら、自分のペースで受験すればいいじゃない」などと言うのは、素人の気楽な発想や。入試には相手がある。仮に、「科目ごとに、受験した中で最高得点を持ち点とする」というルールの場合、ライバルが5回受けているのに、2回しか受けなかったら当然不利になる。

問題のレベルが現状のままなら、東大や医学部を目指す「プレミアリーグ」では、限りなく満点に近いところの戦いになるやろう。ポカの多い人間には医者になってほしくない、という立場から見れば、現状のセンター重視の方針は納得が行く話やが、それも程度問題やがな。

そこまでいかない中堅校では別の問題が発生する。テストごとに、足きりラインが大きく変化する。受験生が右往左往するせいで、突然、高倍率になり、例年なら楽勝の生徒がバタバタ落ちたり、逆に定員割れがおこったりと混乱は必至や。で、この場合も、受けられるだけの回数、到達度テストを受けるのが常識になる。

入試時期が繰り上がると浪人が有利になるが、これも改革の意図なのやろうか。高2、高3、浪人が同じ問題を受けるとなると、問題の出題範囲はどうなるんやろうか。さらに、指導要領改訂なんぞで、カリキュラムが変わったら、どう収拾をつけるんやろな。

高2から結果を出すことが要求されるようになると、地方の公立高校などは、中高6年間一貫教育の私学に対して、さらに不利になるが、これもええのかな。

大学のほうかて無事では済まん。試験監督などの教員の負担も3~4倍になる。「大学のセンセなんか、どうせヒマなんやから、ちょっとは働け」などと言いたいヤツも多いやろうけど、負担が増えるのは、教育でも研究でも中心になっている国公立大学の教員がほとんどや。彼らの足を引っ張っても、国益上得なことは何もないはずやで。

それにしても、教育に関することは、現場を知らない政治家の思いつきが、なんでスっと通ってしまうんやろな。おそらく、日本人の大部分は、学校というものを学生側からしか見たことがないからやと思う。

労連な政治家でも学校を語る時は、よく言えば純粋、悪く言えば子供じみた、単純な物言いになることが多い。多いつきで発言やら行動やらしても、責任を問われないのは子供だけやからな。

総合的な学習にしても、小学校への英語導入にしても、心のノートにしても、改革が成果を上げたという話、あんまり聞いたことが無いで。少なくとも、費用対効果が悪すぎる。けれども、だれかが責任を取ったという話も聞いたこともないで。

市場原理が働くわけでもなく、成果自体の評価が難しいからと言って、大向こう受けを狙って、無茶な改革を無理矢理導入するのやめてほしいもんや。これで、2番目に迷惑するのは教職員や。1番目は誰か、書かんでもわかってもらえると思うがのう。

ヨハネス 山城
通りがかりのサイエンティスト