例えば、ある部署に3人の同期社員がいたとしよう。
Aは、仕事は早いが、正確さに欠けるところがあり、あまり工夫も見られない
Bは、コツコツやるタイプで、仕事は正確だが、スピードはやや遅く、工夫も見られない
Cは、アイデアマンで、仕事の工夫や提案には積極的だが、日常業務はスピード・正確さともイマイチだ
このような場合、たいていAはこう思っている。「BもCも、いつも仕事が遅いよ。巧遅より拙速を尊ぶべし、って言葉を知らないのかなあ。昔と違って、今はドッグイヤーとかマウスイヤーっていうだろ。仕事が遅いのは、これからのビジネスで命取りになるのに、何で部長は注意しないんだろう」
一方、Bはというと。「俺は同期の中ではAやCのように目立たないけど、二人とも仕事がちょっと雑なんだよなあ。アイツらが出してくる資料は、必ずと言っていいほど間違いが見つかるし。いつも俺がチェックしているから、大事には至っていないっていうことを、みんな分かってるのかなあ。特にウチの部署なんかは、正確さに欠けると、得意先からの信用にかかわるんだよ」
それに対して、Cはこんなふうに考える。「なんで日本人は、もっと仕事に対して工夫や改善をしないんだろう。学生時代の詰め込み教育の弊害なんだろうな。俺なんか、与えられた仕事をただこなすだけなんて、耐えられないよ。アイデアなんて、ちょっと視点を変えれば、いくらでも出てくるのに。今のIT社会、スピードや正確さだけなら、どの仕事も全部コンピュータに取って代わられるよ」
誰も間違ってことは言っていないが、決して自らを正しく捉えているとは言えない。
要するに、自己評価をする際には、無意識のうちに「美点凝視」になっているのである。
ところが、ここからがやっかいなのだが、日本人はそれをあまり表に出さない。
人事制度のコンサルタントを長年やっているが、一般に思われているほど、人事評価における社員の自己評価の点数は高く出てこない(もちろん、例外の会社や部署はあるが)。
これがアメリカ人や中国人なら違うかもしれないが、日本では「自己評価より上司評価の方が低かったらカッコ悪い」という意識が働くのか、控えめに出す人が多い。
自己評価で、100点満点を平気で出してくるような人は、たいていパートタイマーなど限定的な職務の人たちだ。自分の業務しか見えていないため、その狭い範囲内では確かに「満点」なのだ。決して悪気があるわけではない。
結論としては、
- 明らかに自己評価の高い人は、身の回りの狭い範囲しか見ていない人である
- 人はたいてい「美点凝視の自己評価」をする傾向にあるが、日本人はあまり表に出さない
そして、上司になる人は、そのことをよく理解しておかなければならない。
人事評価で本人評価の点数が低いからといって、部下が本当にそのような自己認識しているのかどうかを、見抜く力も求められる。
その上で、「あなたのイイところは、ちゃんと見てますよ」という意思表示もしないと、部下からは「ウチの上司は、なんにも見ちゃいない」となる。
上司になるのも大変だ。
山口 俊一
株式会社新経営サービス
人事戦略研究所 所長
人事コンサルタント 山口俊一の “視点”