何度も書くが、ワシは再稼働懐疑派や。補償まで考えたら、原子力発電は引き合わんビジネスやと思うが、今回は、もしやるならという前提で書いてみる。
まず、前回も書いたが、使う気のある原子炉を休止状態で長時間放置するのは、絶対によくない。パイプのような金属部品は、脱圧状態においておくと一種の「癖」がつく。
さあ再稼働となったときに、新品と同様の強度があるのかというと、かなり心許ない話や。この問題は、ゴム製のパッキング(Oリング類)なんかでも発生する。実際、何年間も店ざらしにされた原子炉を再運転した例は、世界にもあまりないはずやから、休止期間は短いに超したことはない。
では、再稼働の手順。まず、この際。稼働40年以上の原子炉や、それに近いものは、思い切って、この機会に廃炉にする。費用を電気代に乗せるのは、国民の理解が得られるはずや。製造業が国外に逃げ出すというが、逃げたらええがな。その代わり、資本に関しては身ぐるみ置いていってもらう。
アルミなど、海外の安い電力でつくった製品には、特別課税をする。「資本主義のルールに背く」という反論もあるが、原発自体が反資本主義的なんやから仕方ないやろ。
で、真っ先に再稼働するのは、次に福島第一の5、6号炉や。帰宅困難地域の真ん中にあるんやから、これ以上最適の原子炉はないやろ。もし、現状で動かせる状態なのなら、あれだけ大きな地震にあって、隣の原子炉が4基も大事故を起こしている中で、生き残っているのやから、安全性は折り紙付きや。活断層による破壊の心配も、少なくとも日本の原発の中では、もっとも小さいということになるがな。
周辺地域の除染活動は、基本的に全てやめる。放射性元素を含むチリを浴びながらの除染作業をだれかに強いるのは、本質的に間違っていると思う。自然の風雪に任そう。その代わり、該当地域の土地は強制的に買い上げる。価格はもちろん、事故前の標準的なもので算出する。
代替地としては、相馬市(グーグルマップ)以北の丘陵部を再開発して、理想的な住宅都市を建設する。東北有数の都市が生まれれば、雇用もかなり継続的に確保できるやろ。ただし、これは、原発被災地のコミュニティーが残存しているうちにしないと、効果が薄い。
ひとことで言えば、福島県の沿岸部を、「原発から遠い街」と「原発しかない地域」に分割してしまう。原発しかない地域には「福島第二」も含まれるから、当然再稼働の優先対象や。将来的には、原発の新設も検討し、関東東北の原発需要は、全てこの地域でまかなうことにする。
では、福井など、他の地方の原発はどうか。これは、福島のモデルを見て考えたらええ。周辺に、原発しかない地域を作れそうな場所から再稼働をする。地域住民と原発の共存など考えるほうが間違っている。
慣れというものは恐ろしい。大阪南部にある実験用原子炉施設の前の交差点の名前、なんと「原子炉前」や、近くの保育園が「アトム共同保育園」。今となってはブラックユーモアのような話やが、これは事実や。こういう甘えは一刻も早く断ち切りたい。原子炉は事故が起これば地域を破壊することを前提にせんのは、卑怯というものや。
原子炉と住民との物理的な距離をできるだけ離すという、山城流再稼働プランを実行するには、最初に書いた技術的な理由で時間があまりない。民主的にごちゃごちゃ話し合ってるヒマは、正直言って全くない。強力なリーダーシップが必要や。
もっと正直に言えば、強権的にやらん限り無理な話や。少数(多数かもしれんが)の反対を認めて、中途半端なことをしたら、かえって危険やで。
こういうことを考えておるから、ワシは再稼働懐疑派なんや。わかってもらえたかのう。
ヨハネス 山城
通りがかりのサイエンティスト