800億円で日本人の英語力を劇的に向上させる方法 --- 渡辺 龍太

アゴラ

先日、自民党がTOEFLを大学入試に導入するべきだと提案した。そんなニュースを耳にして私は怒りを感じた。確かに、大学入試にTOEFLを導入すれば、結果的に英語力のある日本人をある程度は育成できるかもしれない。しかし、それは生徒にTOEFLを自分で頑張れと言っているだけで、学校の英語教育の質を上げるという事ではない。政府はそんな手抜きをせずに、もっと予算や知恵を絞って日本の子供全体の英語力をあげる方策を考えなければならないと思う。以前、私はアゴラで30歳を超えている様なビジネスマンに向けて「英語などはネイティブにまかせとけ、日本人はもっとやるべきことがある」という記事を書いた。そこで、今回は私が語学の専門家ではないと断った上で、それ以下の歳の英語学習に積極的に取り組んで欲しいと思う人へ、英語を習得した者として発音記号教育の重要性を訴えたい。


私は高校を卒業した後、映画に興味があって米国に留学した。いざ渡米してみると、TOEFLである程度点数が取れていたり、日本の学校での英語の成績も悪くなかったのに私の英語はほとんど通じなかった。特に、演技の授業であまりにも言っている事が周りに理解されない事に苦しんでいた。すると、現役女優でもある講師に呼び出され、発音記号の授業を取る様に勧められた。その講師は普段、発音記号を使って俳優志望のアメリカ人に対して正しい発音を教えていた。だが、多民族国家のアメリカだけあって、クラスには必ず英語を母国語としない生徒もいる。その講師によると、自分のクラスの外国人の生徒(特に日本人)が発音記号をマスターすると、英語力全般が飛躍的に伸びるというのだ。私はあの複雑な記号と格闘する事が少し面倒な気もしたが、勧められるがままに発音記号の勉強をはじめる事にした。そして、実際にやってみたら、英語とはかなり異なる日本語を母国語とする私達こそ、発音記号の学習が絶対に必要だと感じた。それどころか、辞書を引けば必ず出ていて誰もが目にする記号にもかかわらず、日本の英語義務教育に発音記号学習が無い事が疑問で仕方なく思えた。

まず最初に、外国人が日本語を学習する事をイメージしてもらいたい。日本語を話したい外国人がまず最初に何をすべきかと考えたら、「あいうえお」の五十音の全てが正確に発音できて聞き取れるようになる事から始めるべきだと直感的に思わないだろうか。例えば、やや似た音である「あ」と「え」の音の区別がつかないようでは、「秋」と「駅」などの言葉の区別が出来無い。これでは、いくら難しい文法を理解したり漢字を覚えても、コミュニケーションに難がある事は簡単に想像できる。では、英語で日本語の五十音に相当するのは何かといえば、それはアルファベットではなく発音記号だ。英語の音はアルファベットとは関係が無いので、発音記号でしか表せない。極端な表現だが、日本人は「あいうえお」を曖昧にしたまま英語を学習していると私は感じる。

ところで、こんなに発音記号が重要だと力説すると、世界的に見ても英語習得のための発音記号の学習というのが、あまり一般的でない事に疑問を持つだろう。それには理由があるように思う。日本人にとっては、英語の音を自力で真似てマスターするというのは時間がかかって大変だし、センスの問題と言われて挫折してしまう人も多い。だが、英語に比較的近い言語が母国語の人は、自力で英語の音を理解し使えるようになるのだ。日本語と英語というのは極めて異なる言語なので、だからこそ発音記号の学習が重要になってくると私は思う。

では、ここで簡単に日英の音の大きな違いを説明しよう。例えば、PEOPLEという単語の英語的な読み方を無理やりだがローマ字化すると「PIーPL」となる。一方、日本語的な感覚でローマ字に直すと「PIーPULU」となる。日本人は後半のPLの部分に、勝手にUの母音を加えてしまうのだ。それは、日本語には子音と母音が必ず組み合わさって発音されるルールがあるので、子音が単独で続くという事はまず無いと思っている日本人が、子音の後に自分たちの好きな母音を挟み込んでいるのである。だから、ネイティブに知っている単語を発音しても、必要の無い音が混じっているので理解してもらえないという事が起きるのだ。また、日本人は子音を聞けば、あるはずの無い母音を頭で必ず探してしまう。その結果、言われていない母音を聞き取れない原因が、英語が早口で話されすぎているからであるという間違った推測をしてしまう事がある。だから、ゆっくりした英語でも、早いと感じる日本人が多くいるのだろう。その上、この日本語の「あいうえお」の5種類の母音というのは毎回子音にくっついてくるだけでなく、英語に比べて極端に数が少ない。分け方に諸説あるのだが、私は英語には母音が15個あるという事で習った。つまり、15個ある物を、日本人は5種類だけで話しわけたり聞き分けようとしているのだ。それはまるで、アメリカ人が世の中には、スクーター、レーシングバイク、乗用車、バス、トラック、ブルドーザーなど様々な乗り物があるという前提で話をしているのに、日本人はバイクと自動車という区別しかつかないという状態で会話をしているようなものだ。これでは混乱してしまうのも当たり前である。

他にも複雑な事は無い訳ではないが、ここに書いたような事を脳に感覚的に叩き込むだけで英語力が飛躍的に上がる。それぞれの発音記号の音を言えるように練習すれば、ネイティブと同じようには言えなくとも言葉が通じるようになる。そして、自分が口を動かすことで、ネイティブがどんな音を発声しているのかというイメージが頭に出来上がる。なので、リスニングが急に強くなる。そして、リスニングに強くなって早口のネイティブの言う事が分かるようになってくれば、それ位のスピードで文章も追えるようになっていく。もちろん、語彙などはリスニングや多読でも付きはするが、そこは意識的に覚えないと厳しい部分もあるという事を付け加えておく。とはいっても、発音記号の学習は英語が全く分からない人でもできるし、記号に対する音を覚えるだけなので一年もあれば十分なはずだ。

さて、そんな発音教育の唯一の難点というえば、どうしてもマンツーマンに近い少人数で教わらないと身につかないという事だ。そこで将来の日本人の英語力の底上げのために、私は教育バウチャーを活用して、既に発音を教えている民間学校の力で小学生の英語の発音能力を伸ばす事を提案したい。現在、小学校にネイティブの講師を派遣するなどして小学生の英語力を高めようとしているらしいが、それを中止して小学校の6年生に一人に年間8万円程の英語発音教育専用の商品券を政府が配るのだ。そして、夏休みなどは除き、隔週ごとのマンツーマン授業を一年間受けさせる。子供のうちは、音の飲み込みが早いようなので日本人の英語力はそれだけで急激に伸びるに違いない。発音をマスターした上で中学生から英語をキチンと学習していけば、間違った音で単語を覚える事も防げて効率良く英語を身につけられるに違いない。現在の小学6年生は約100万人いるらしいので、予算は年間約800億円となる。今年度の公共事業の総予算は7.5兆円程らしいので、その内の約1%でも英語教育に回してもらうだけでいい。たったそれだけで、日本という国の運命を変えるほど、日本人の英語力が変わってくると私は思う。さて、あまり発音記号には馴染みの無い人も多いと思うが、この記事をきっかけに発音記号学習に興味を持ってもらいたいと心から願う。

渡辺 龍太(わたなべ りょうた)
World Review編集長

十代後半で単身渡米し、ニューヨークやカリフォルニアで学生映画の出演や制作などをしながら4年過ごす。帰国後、テレビ制作会社の業務委託でNHKのニュース番組のディレクターを勤めた。その時に得たニュース制作のノウハウを使ってネットメディアWorld Reviewを2013年5月に設立。現在はWRの編集長としての活動や、テレビやラジオに出演している。
Twitter @ningenhyoron
World Review