「慰安婦像」設置計画は間違いだ --- 長谷川 良

アゴラ

韓国系団体が米国内で慰安婦像の設置を計画している。米在中の日本人社会からも強い反発が起きているという。そこで当方の見解を述べたい。慰安婦像の設置計画は間違いであり、慰安婦の心情を傷つけることになるだけだ。


米カリフォルニア州ロサンゼルス近郊グレンデール市の公園に韓国系団体が従軍慰安婦像の設置を計画しているというニュースが流れてきた。韓国系団体によると、旧日本軍によって性的奴隷となったという通称・慰安婦問題を国際イシューとして世界にアピールするのが狙いだという。

「正しい歴史認識」問題に関連するが、日本と韓国両国では慰安婦問題で意見が一致していない。そこで世界の大国・米国で日本の犯罪を訴えていこう、というわけだ。これは慰安婦問題を国際イシューにし、外圧に弱い日本側の謝罪を勝ち得ていこうという試みだが、方法論として決定的に間違っている。両国間の協議が容易でないから第3国の米国の影響を期待して問題の解決を図ることは、協議の相手国・日本側に対して無礼であり、品格のある国が取るべき手段ではない。米国にしても両国間の問題を持ち込まれて当惑するだけだ。ましてや、米国に日韓両国の「正しい歴史認識」の調停を期待すること自体、無理がある。

第2の理由は、米国内で慰安婦像を設置することは慰安婦の痛みを癒すことになるか、という問いだ。「もし、あなたが慰安婦だったら、その痛みを象徴した像を外国の地に建立して世界にアピールするか」、「もし、あなたが慰安婦の父親であり、母親だったら、娘の悲しみを像にして異国の地で訴えたいか」という問いだ。明確な点は、慰安婦像の設置計画は元慰安婦たちから出たものではなく、慰安婦が体験した戦争の悲劇を継承した人々たちからの発想だという点だ。

当方はこのコラム欄で「傷跡のない悲劇の継承者たち」(2013年5月22日)で以下のように書いた。

「韓国や中国では、旧日本軍兵士から迫害され、弾圧された人以上に、その悲劇を継承した人の憎悪のほうがより激しい場合が少なくない。彼らの総身には日本軍兵士から受けた殴打の傷跡はないが、体に傷跡をもつ犠牲者以上に憎悪に燃えている。あたかも、今、体から血が流れているように。注意しなければならないことは、悲劇の継承者の反日感情は体験の裏づけのないものが多いことだ。だから、ある日、彼らは同じような蛮行を繰り返すことができる。一方、体に傷を抱える犠牲者は加害者の謝罪をいつかは受け入れようとするものだ。なぜならば、恨み、憎悪を抱えたままでは自身が幸福になれないと悟るからだ。彼らは過去の悲しい束縛から解放されるために、加害者の謝罪を受け入れようとする。それと好対照は悲劇の継承者だ。彼らは加害者の謝罪を受け入れない。なぜならば、謝罪を受け入れれば、その瞬間、自身のアイデンティティが消滅する、といった懸念を感じるからだ。彼らの加害者への憎悪、恨みは体験や傷によって裏づけされていないから、時間の経過とその必要性からさまざまな形態に変容できる」

少々、厳しい指摘となるかもしれないが、米国で慰安婦像を設置しようとしている韓国系団体は反日感情の拘束から解放されない人々ではないか。「正しい歴史認識」を叫びながら、それと真摯に取り組むだけの意思力、熱意がない。あるのは憎悪だけだ。そこからは建設的な考えは期待できない。

和解は「謝罪を求める側」と「それを受け入れる側」の合意がない限り、成立しない。日本側は心からの謝罪が必要だ。韓国側はそれを受け入れなければならない。なぜならば、韓国側には謝罪を受け入れる以外に他の選択肢がないからだ。さもなければ、憎悪の虜となるだけだ。それでは不幸だ。韓国側に多くを要求しているようで申し訳ないが、韓国に「国家の度量」を示して頂きたい。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年7月28日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。