「隠蔽」は日本の組織体質か --- 岡本 裕明

アゴラ

京都府立医大、東大、東電の最近の共通点といえば「隠蔽と改ざん」でしょうか? 京都府立医大では製薬会社ノバルティスファーマの高血圧治療薬「ディオバン」の効果に関する臨床研究を巡る論文データの改ざんが問題になりました。東大のシステム販売会社と共謀し委託契約料を騙し取った事件もデータの改ざんがベースです。更に東大の分子細胞生物学研究所でも論文捏造疑惑が発生しており、現在調査中であります。


企業に目を向ければ東電が汚染水を海に流していた事に関して5月の時点でわかっていたのにその事実を確認するのに手間取り、公表が遅れていました。とくに公表に向けた直近の動きは以下の日経の記事が参考になるかと思います。

「広瀬社長によると、7月18日に海への汚染水流出を裏付ける潮位と地下水位のデータを本店が把握。19日夕刻に広瀬社長、原子力部門、広報部などが協議して速やかに公表する意向を確認した。だが、広瀬社長は「公表前に漁業関係者に知らせた方がいい」と指示。22日に関係部門が漁業関係者に説明し、その日の夕刻に発表した。20~21日は公表資料を作成していたという。」

本社が18日に事実を把握した後、公表までに4日かかっていること自体がもはや常識の範疇を超えてしまいました。大体、公表資料を作るのに2日間も要するのは企業体質がよほどの権力体質であるといえましょう。欧米企業ならば半日で公表にこぎつけるはずです。また、漁業関係者に先に知らせるという判断もよくわかりません。私なら同時に発表し、その上で漁業関係者により具体的な説明を個別に行う方法をとります。

これらの事件はごく最近起きたものだけであり、時間軸を延ばせばいくらでも出てくる「日本版パンドラの箱の祭典」であります。それもたまたま見つかったのが氷山の一角で話題にもならない隠蔽や改ざんは無数であると思います。

なぜ、人は隠すのか、といえば、追い込まれた際の弱さなのだろうと思います。「これで失敗したら人生終わり」というギリギリのところにいることが隠蔽だろうが、改ざんだろうが、犯罪だろうが何でもして「ばれなければ」という気にさせるのだろうと思います。

勿論、このような隠蔽体質は世界中で起こっていますので日本独特のものとはいいませんが、日本は多いほうだろうと思います。理由は先日も指摘しましたが、やり直しのきかない日本ということが影響しているのではないでしょうか? アメリカは失敗してもやり直す気持ちがあればいくらでもスタート台に戻れます。また、そこから復活した人は高く賞賛されます。ところが日本は「だめな奴」というレッテルを貼られ、権限や職を失い、人生路頭に迷うことが多いのです。

更に激しい競争社会に生きている人ほどその傾向は高いのではないでしょうか? 大学の教授はよい論文を書き、学内での地位を高めることが非常に重要になります。山崎豊子の「白い巨塔」はもっとも日本的な大学病院の醜い姿が描かれています。また東電もエリート社員の集り。著名な大学を優秀な成績で出て国家官僚へのチャンスを蹴って入社するような人が多いところにおいて社内競争は社員の正しいマインドを歪めることになるのでしょうか?

隠蔽しなくてはいけないということは人間の弱さそのものだと思います。組織の強さと個人の弱さのアンバランスともいえましょう。精神衛生的にゆがみが生じている日本社会はいつ、幸せになれるのでしょうか?

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年7月27日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。