きのう書評した竹中平蔵氏の本は「アベノミクスは正しい」という立場から書かれたものだが、おもしろいことに内容は拙著『アベノミクスの幻想』とほとんど同じだ。リフレにはほとんどふれず、規制改革にほとんどのスペースが割かれている。
特に「雇用の流動化より社長の流動化が必要だ」という話は、拙著の第6章でも書いた。日本の企業の最大の問題は、優秀な労働者が無能な経営者を生み出すガバナンスのゆがみにある。これは『「空気」の構造』でも書いたように天皇制に象徴される日本の伝統的な統治構造で、是正するのは容易ではない。
しかし徳川幕府は、このようなタコツボ構造を巧妙にあやつって300年近く平和を守った。普通に考えれば、全国に300も藩があったら、結託して幕府に反乱を起こしそうなものだが、江戸時代を通じてそういう事件は島原の乱しかなく、由比正雪などの陰謀はすべて事前に察知されてつぶされた。
徳川幕府が平和を維持できた一つの秘訣は、頻繁な改易(取り潰し)にあった、と丸山眞男は指摘している(『講義録6』)。江戸時代の初期には約300あった藩のうち、幕末までに実に248の藩が取り潰された。これで必ずしも藩が消滅するわけではなく、天領に入ったり別の大名が「転封」してきたりして統治機構は維持されたが、「お家断絶」になると武士団は解散した。百姓は土地に固定されていたが、武士は非常に流動的だったのだ。
改易の理由は、幕府に対する謀反というのもあったが、百姓一揆が頻繁に起こると「土民困窮」という理由で取り潰したりしている。つまり幕藩体制は分権的のように見えながら、実は「大目付」などの監視のもとで、失政があると経営者をすぐクビにするしくみで集権的ガバナンスを維持していたのだ。
こうした「クビの軽さ」は現代にも受け継がれ、首相が毎年のように替わる原因になっているが、肝心の霞ヶ関はまったく「改易」が行なわれない。たとえば経産省なんて江戸時代だったら原発事故でとっくに取り潰しで、少なくとも審議官以上の幹部職員(指定職)は全員クビだろう。
内閣法制局長の人事をめぐって「政治介入だ」などという批判があるが、これは逆である。法制局長は霞ヶ関全体の調整機能をもつので、戦前は政治任用だったぐらいだから、首相が任命するのは当然だ。そもそも法制局は裁判官でもない官僚が憲法解釈をする三権分立に反する役所だから、法制局そのものを取り潰したほうがいいのではないか。
経営者を流動化するには、持ち合いの規制など資本市場の改革が必要で、財界は大反対なので困難だが、役所の職員の人事権は大臣にある(民主党政権では原口総務相が事務次官を更迭した)。無能な経営者をクビにする模範を示すために、たとえば幹部公務員は閣議で一致したら更迭するといったルールをつくってはどうだろうか。