「ナチスの手口に学べ」発言より、麻生式「改憲手続き」が問題だ!

北村 隆司

国内の論議では、麻生発言が「ナチスを肯定」したとか「ナチスの手口を学んだらどうか」とはけしからんと言う論議で埋め尽くされているが、これは本筋から外れているとしか思えない。

この枝葉末節の国内論議の幕引きには、池田先生の「ワイマールの教訓」が指摘した様に「麻生氏はドイツの歴史を根本的に勘違いして引き合いに出しているので、何をいっているのかわからない。ただナチスが『みんな納得して』政権をとったと思っているような政治家がナンバー2で財務相になっているのは問題だ。ワイマール憲法の失敗から学ぶべきことは、法律がいかに整っていても、国内の政治情勢がグダグダで誰もその法律を守らないと、政治は機能しないということだ。この点で法より『空気』が優先する日本にも同様の危険がある。」と言う結論が一番妥当であろう。


問題は、この発言がが海外で引き起こした日本への新たな疑問で(ここで言う海外とは、中韓を除外した海外諸国)「米国が戦った大日本帝国と今の日本は全く別の国だが、今回の発言で同じ国じゃないかと思われて日米同盟に影響が出てしまう事が一番の問題だ」と言う佐藤優氏の懸念が現実化しつつあり、著しく「国益を損った」発言である事は間違いない。

日本人は、麻生氏が失言癖の持ち主で、国会の答弁で、1) 踏襲 2)頻繁 3)有無 4)参画 等の漢字を、1)ふしゅう、2)はんざつ、3)ゆうむ、4)さんが  と公式に読み上げた位、知性に欠けた人物だ知っており、又「あの、麻生さんか!」と割り引く習慣があるが、それを知らない外国では「これが大国日本の』『副総理』の発言?と呆れられるのは、日本人としてやるせない。

桜井よしこ氏が理事長を務める国家基本問題研究所(国基研)が主催した研修会の講演主題は、「憲法改正」問題であった。

その研修会で、下手なお笑い芸人の様に、脈略のないことを下品に並べ立てる講師の麻生さんから飛び出したのが「ナチスの手口を学んだらどうか」失言で、この発言を600人近い出席者が、全面的な賛意を表した爆笑と拍手で迎える雰囲気は「保守」と言うより「右翼」の集会と言う印象が強く、とても一緒に笑える気持ちにはなれなかった。

然も、講演の中で「笑い」がとれたたのはこの部分だけで、お笑い芸人としても落第点しか与えられない出来栄えだ。

先述した様に、「憲法改正」を主題に行なわれたこの講演で「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」 と発言した中で、問題のなのは「あの手口学んだらどうかね。」と言う箇所ではなく「だれも気づかないで変わった」改憲手法を学べと言う麻生氏の主張である。

麻生発言は「改憲で、いちいち騒ぐなよ」の一点張りで、「自由な論議」を「やかましい」として否定し、「議論をするな」と言っている様に聞こえる。

法律を学んだことの無い私だが、現行憲法としては世界最古の成文民主憲法を持つ米国で永く暮らしているうちに、日本で行なわれる憲法論議の異常さ、とりわけ池田先生の言われた「空気が優先する」危うさは、国家基本問題研究所主催したこの研究会の雰囲気に如実に表れており、誠に不気味である。

理念や事実より「空気」を重視する日本の典型的な例が、憲法を最高法規と規定しながら、日本の最高裁判事には「司法資格」を求めないと言う不思議な慣行でがある。

この慣行は、最高裁判事に司法資格を求めない米国の制度を悪用したものに違いないが、米国では憲法を法律ではなく国家の基本理念を定めた「典範」だと定め、最高裁判事の選任には法律の知識も然ることながら、憲法の理念を深く理解し支持しているか否かを最優先として公開審査する厳格な「選人手続き」があるが、日本にはこの「デュー・プロセス」すらない。

その結果、多くの日本国民は、憲法を厳格に解釈すれば刑務所に入っても不思議でない元社会保険庁長官が、司法資格も無しに最高裁判事に任命されていた事実を認識すらしていない。

この例でも判る通り、日本では今更「ナチスの手口」に学ぶまでも無く「静かに誰も気が就かない中に」憲法の換骨奪胎が進んでいるのが現実だ。

私は熱心な改憲論者であるが、その理由は第9条の改正だけが目的ではなく、国家のあり方や理念を規定した章典に近い憲法の下で、チェックアンドバランスとデュー・プロセスを明確に規定して国民主権を回復する事が第一の願いである。

ワイマール憲法は「国民主権」を規定し、「人権保障規定」を設け、一方日本国現行憲法は、その前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」する決意を表明し、日本の運命を諸外国の善意に委ねるなど、夫々の時代の先を行く「ユートピア」的で最も民主的な憲法とされていた。

然し、その致命的な欠点は、両憲法共に「チェックアンドバランス(分権)規定」や「アメリカ合衆国憲法修正5条および14条で担保された様なデュー・プロセス」と言う国民主権の実行を可能にする規定が曖昧か不在であった事にある。

この欠点が、ナチスへの権力移行を生み、日本を憲法解釈で最高裁より権限の強い法制局長官と言う「官僚」や憲法で「国民の僕」と規定した国家公務員の最終評価権が行政の長である首相ではなく官僚である人事院総裁が握るなど、国民主権が全く機能しない日本にしてしまったのである。

大統領に強大な権限を与えたワイマール憲法のもう一つの問題は、論議ができなかった点にある。若し、麻生氏が欧米で、言論の自由を騒がしいと主張したら、副総理の地位は勿論、議員の職も失う事は間違いない。

結果責任は為政者の最も重要な責務であリ、撤回したから良いと言うものではない。

先に、高市早苗自民党政調会長が「村山談話」に触れて発言した、あたかも「第二次大戦は日本の権利擁護の為には必要であった」と取れる発言や、今回の麻生発言が重なると、海外の警戒心は更に高まり、改憲の国際環境も悪化するばかりだ。

これを、欧米のマスコミの誤解、曲解だと言うのなら「麻生氏がナチス発言を撤回したことが今回の問題で一番の誤りで、確信を持って語ったことを軽々に撤回すれば、『やっぱり』と思われるだけだ。自分の真意を堂々と説明し、相手が理解するまで言い続ける、そのくらいの辛抱や根性がなければ、この厳しい時代を乗り切ることは出来ない。」と言う深谷隆司氏の主張に軍配を挙げざるを得ない。

高市氏も麻生氏も、国際舞台で持論を展開してみたらどうだろう。

繰り返しになるが、麻生氏が「ナチスを肯定」したとは思えない。然し、問題にすべきは、同氏が民主憲法に欠く事の出来ない「デュー・プロセス」と「チェックアンドバランス」の原則を否定している事である。

2013年8月6日
北村 隆司