今日はいわゆる「終戦記念日」です。一般的にはこう「終戦記念日」と言われていますが、1945年のこの日、日本は「敗戦」したのだから「終戦」というのはおかしくないか、という疑問を呈する人がよくいます。しかし「敗戦」を「記念」することはないので、言葉としては「終戦記念日」のほうがしっくりきます。ことさら「敗戦」というのは自虐的過ぎるでしょう。逆に「次は勝つぞ」という意味で「敗戦」と胸に刻むような人もいます。中には、日本は自ら戦争を終わらせただけで敗けてはいないのだから当然だ、というような意見もありますが、これはちょっと無理がある。言葉一つですが、右から左まで「終戦」か「敗戦」かにこだわる人がいるようです。
毎年8月15日については「先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』を設ける」ということが1982(昭和57)年に閣議決定(鈴木善幸内閣)されました。この日は正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」なので「終戦」でも「敗戦」でもありません。
8月15日には、政府主催で天皇皇后両陛下の臨場のもと「全国戦没者追悼式」が行われます。追悼式が政府主催で最初に始まったのが1952年。場所は、新宿御苑、千鳥ヶ淵戦没者墓苑、日比谷公会堂、靖国神社(1964年)、日本武道館と変遷し、1965年からはずっと日本武道館で行われている。また、追悼する戦没者の対象に「戦犯」を含めるかどうかには議論があり、式における追悼の辞の中で衆議院議長だった河野洋平氏は戦争責任について2006、2007年の二回、異例の言及をしています。
政府閣僚などによる靖国神社の参拝が問題にされる原因も「A級戦犯」14人が合祀され、顕彰されていることにあります。戦没者追悼式も1回だけ靖国神社で行われたことがあったんだが、今ではかなり難しいでしょう。靖国神社に「A級戦犯」が合祀されたのが1978年です。天皇が1975年以降、靖国神社へ参拝していない理由もこの合祀にあるようです。米英開戦時や終戦時のいきさつなどを推測すると、とりわけ昭和天皇の「A級戦犯」に対する不信感や不快感は根強かったのではないでしょうか。
1952年にサンフランシスコ講和条約が締結され、日本政府は東京裁判の判決を受諾しました。同時に、国際裁判である東京裁判は国内法に縛られない、という解釈から受刑中の「戦犯」を順次釈放し、政府は死刑を含む戦犯拘禁中の死者をすべて「公務死」にした。「戦犯」の扱いについては、2005年10月に当時の民主党国会対策委員長であった野田佳彦氏が出した「『戦犯』に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書」の中で「A級・B級・C級すべての『戦犯』の名誉は法的に回復されている。すなわち、『A級戦犯』と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない」と述べているように「戦犯」の「戦争犯罪」が赦免され、名誉が回復されているかどうか、については議論があります。
当時の内務省の発表では、太平洋戦争の戦死者は約212万人、民間人の死者は24万人だったそうです。偶然、お盆の時期でもある。アニメ『風立ちぬ』を例に引くまでもなく、戦後生まれ平成生まれの若い世代の心象風景にも「アノ夏」の記憶は刻み込まれているようです。日本人は年に一回、8月15日にリセットされる、といったら大げさでしょうか。「戦犯」の問題も含め、今日は「先の大戦」について少しは思いを巡らせてみるのもいいかもしれません。
メモ帳
終戦記念日,敗戦記念日,全国戦没者追悼式
※今週の「今日のリンク」は恐縮ですが「お盆バージョン」のため短めでやってます。
アゴラ編集部:石田 雅彦