マスメディアは「中立」は無理でも「客観報道」くらいはせよ

北村 隆司

意見が割れる政治問題の報道は、起こった事をその通り報道しても「偏向」する事があるから厄介だ。

例えば、2004年に米軍ヘリコプターが墜落した沖縄国際大で開かれた「普天間の閉鎖・返還を求める集会」で、沖国大の大城保学長が「普天間基地があり、オスプレイが宜野湾市上空を飛行し続ける以上、事故は起こる」と強調したそうだが、それはその通りだ。

しかし、基地(飛行場)やオスプレイと事故の直接的な因果関係があるのであれば、2007年にチャイナエアラインのボーイング737-800型機が、那覇空港到着直後に出火し爆発、炎上した事件の場合でも「那覇空港があり、ボーイング737-800型機が沖縄の上空を飛行し続ける限り、事故は起こる」と抗議しないと筋が通らない。


「沖縄では米軍機の事故が相次ぎ、多くの県民が9年前から抱える痛みは今も消えていない」と言う報道も多かったが、調べて見ると、2004年の事故から今日までの9年間に、沖縄の米軍機による人身事故はゼロで、記録に残る事故はごくマイナーな物を含め、9年間で5件しか起きて居らず、これを「沖縄では米軍機の事故が相次ぎ」と表現するのは如何なものか。

余談になるが、この9年間の米軍の航空機事故は、神奈川県で発生した18件のほうが遙かに多いにも拘らず、神奈川で沖縄のような抗議は起きていない。

この集会で沖国大の学生を代表(?)して挨拶した学生は「苦しんでいるのは沖縄だけではありません。震災・原発事故など日本全体で互いの抱える苦難を理解し合い、ともに復興を目指し、ともに基地撤去を願うことが平和な日常への第一歩だと思います」と語ったそうだが、何の因果関係もない「軍用機事故・震災・原発事故」をごちゃ混ぜにしてアジルとは、余りにもお粗末過ぎる。

今回の報道が、実際のエピソードを客観的に報道した事は疑わないが、流言飛語に近い言動をそのまま報道することは「偏見」の流布であって「客観的」とは呼べない。

東京新聞など一部の報道によると、集会の参加者は300人(別の報道では320人)とあったが、在籍学生数4800人以上の沖国大で学長まで参加した集会で、外部参加者を含めても小さな村の盆祭りにも及ばない少人数の抗議集会を、これだけ大袈裟に報道する価値があるのだろうか?

ある友人の話では、保守的な主張で有名だった故米長 邦雄永世棋聖は「産経新聞」と「赤旗」だけしか読まなかったそうだ。

その理由は、他の新聞の様な「中立」を装った「偏見」を読むより、左右の意見を比べながら自分で判断する方が、自分なりにバランスの取れた結論を出し易いと言う事らしい。誠に正論である。

中立的報道は兎も角、客観的な報道をするには何が必要か?

その第一は、異なる意見を併記する事である。

第二には、誰の意見でも結論を導いた因果関係と事実関係を精査した上で報道する事である。

オスプレイの関連記事を例に挙げる、開発初期に「未亡人製造機」と呼ばれた時期もあったが最近のデータでは、10万時間当たりの平均事故率は1.93で、米海兵隊所属の飛行機平均の2.45をかなり下回る安全な機体に改善されていると言う。それに、そんな危険な機体を米軍が実戦配備する理由ががない。

また「9年前より危険性は増している」と言う記事も、その根拠は全く不明である。

同じような偏向は当然保守派にもある。

中国嫌いの保守派は「米軍がスビック湾から撤退した軍事力の真空状態に付け込んで、フィリピン領海のパーセル礁をさっさと軍事占領した中国は又、日本領海を中国領として海底リグを建設し操業を続けたままだ。このままいけば、次は尖閣諸島を盗みに来るのは間違いない」と断言し反中国感情を煽るが、事実としては、1992年にフィリピンの基地から米軍が撤退し、1995年に中国がミスチーフ環礁を占領したという二つだけで、この両者の因果関係すら特定されていない推論に過ぎない。

左右の両極は「自分は絶対に正しい」と言う信仰に凝り固まり、他人の意見に耳を貸さないだけでなく、片や靖国、竹島,尖閣、他方、原発、改憲、沖縄など、自分の気に入らない意見には見境無しにIED(即席爆発装置とか路肩爆弾と呼ばれ道路脇などに仕掛けられた一触即発の爆発装置で、イラクやアフガンで米軍に大きな損害を与えている)を爆発させて、理性の全くない暴言を吐くのが困りものだ。

左右の両極に理性を持った論議を期待出来ない以上、メインと言われるメディア位は、政治的中立は無理でも

  1. 中立などと言わず、あらかじめ自分の政治的立場を鮮明にした上で見解を述べる。
  2. 論拠と因果関係を明快に示した上で、客観的な報道をする。

の、どちらかにしてもらえないものだろうか?

2013年8月15日
北村 隆司