過去の「精算」をめぐる日中韓の温度差の理由 --- 岡本 裕明

アゴラ

終戦記念日近くになると必ず日本の周辺国からさまざまな声が持ち上がります。今年は特に韓国からの牽制が大きい気がします。先日の韓国議員による竹島訪問もありましたし、その少し前には慰安婦の銅像がロサンゼルスに建ったことも話題になりました。

8月14日の韓国中央日報のコラムには安倍政権の「靖国コンプレックス」と題し、「8月15日の光復節になれば、いつも議論されるのが日本の過去の歴史反省問題だ。」という強い論調が目を引きます。この歴史反省問題という表現を見た時、中国が文化大革命の最中、「自己批判せよ」と一般市民にあらぬ嫌疑をかけ、多くの市民を死に追いやったあの攻め方と重なるものを感じます。文化大革命は一種の思想教育を国家単位で行うことで反逆者を見つけ、自己反省させ、さらし者にし、地獄まで突き落としていきました。そこに容赦という言葉はほとんど見出せませんでした。


韓国では日本との歴史問題について国民に思想教育をすることによって端から日本は悪いと決め付けることを強いてきました。さらに日本に「自己批判」を強い、儒教の教えもあり親からの話をしっかり聞きとめて、後世に伝えていきます。結果としてサッカーの試合などスポーツの戦いにも政治的思想を反映させるような行動が平然と行われるのでありますが本人たちは政治的思想などとは思ってはなく、まさに正道、正論であると考えているところにこの問題が解決しない状態を作っているように思えます。

つまり、日本では本件は解決済みであるとしていますが、韓国では何をやっても満足に至ることはないのであります。つまり、文化大革命が終焉した時のように国家がその体を崩し、国民が文化大革命は「間違っていた」という認識を持ち、国家体制の変換のようなインパクトがなければ残念ながら韓国や中国とのこの問題は永遠に平行線のままである可能性があるかと思います。

時折、ドイツは近隣諸国とうまく立ち回り、結果としてあの問題が今、表面化することはないとし、日本はドイツに学べ、という論調も見受けられます。が、そこには宗教的バックグラウンドが相違するために日本が抱えるこの問題はそう簡単に解けるものではないと考えられないでしょうか?

その上、最近では韓国の朴大統領が日本に対して一種の壁を作ってしまっていることから日韓の雪解けさえ遠い感じとなりました。もちろん、韓国の人すべてが日本を嫌っているわけではありません。日本からのツーリストが極端に落ち込んだため、日本への積極的売込みも見られるようです。中国でも同じ動きはあるようで、日本と中国がこれ以上疎遠になることは好ましくない、という声も上がり始めています。が、それが国家と思想を動かすほどのパワーにはつながらないだろうと思います。実に残念なことであります。

では日本が自己批判をしていないかといえば大いにしています。8月15日の玉音放送はまさにトップによる体制変換の意思表示であり、それに基づき、国民はそれまでの方針を180度変える必要がありました。一部の人は手のひらを返したように変わることができましたし、一部の人は未だに変われないし、シベリアに抑留されていた人たちは思想教育を施されたケースもありました。

日本は終戦以降、それまでのエネルギーを戦争から経済に転換しました。原爆を落とし、東京裁判という勝者による不公平裁判を経ながらもアメリカと安全保障条約を結び、国家間の強い結びつきを得ることができました。これは「自己批判」の結果の何者でもありません。

では、日本はこのまま黙っていてよいのか、と言えば、政府が分かりやすい過去の清算の過程の事実を日本国民や世界に改めてプレスしていく以外ないかと思います。それは地道で長い道のりになるかもしれません。

日本が中国や韓国へ金銭的考慮も含め十分なる行為をしてきたことについて簡単にうまくまとまったものが見当たらないと思います。本来は各省とは独立している外務省がそれを担っても良いのだろうと思います。いずれにせよ、政府がその辺りをきちんと対応しない限り、我々国民はいやな思いをし、ビジネスマンは現地でつらい思いをし続けなくてはいけません。少なくとも日本国民は韓国や中国に対して極めて紳士的態度を貫いているという点において私は日本が「大人」である点を嬉しく思っております。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年8月15日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。