エジプトの現状を見ていると、宗教指導者の責任を痛感する。ムスリム同胞団の指導者が金曜日の祈祷で信者たちにどのような説教をしているのだろうか。指導者が「憎悪発言」を繰り返し、戦いを鼓舞しているとしたら、宗教指導者としては問題と言わざるを得ないと思うからだ。
なぜ、そのようなことを書くか、というと、当方の頭に中には韓国キリスト教会(新旧両教会を含む)のことがある。韓国では国民の約30%がキリスト教の信仰を有している。同国最大の宗教だ。キリスト教徒数が人口の1%にも満たない日本とは好対照だ。フィリピンについで韓国はアジアのキリスト教国だ。韓国では指導層にキリスト信者たちが多い。
キリスト教の教えの核は「敵を許し、愛する」ことだ。ナザレの青年イエスは自身を十字架で処刑しようとしたローマの兵士に対してどのように答えられたか。キリスト信者ならばよく知っている。イエスは罪を背負い、当時の極刑十字架刑に処された。普通の人間ならば、「どうして……」と一言ぐらい不満を発しても不思議ではない立場だった。新約聖書をみると、イエスは自身を殺す人々の罪をも許し、彼らのために神の前に取り成しをした。
慰安婦像の建立問題、竹島問題、終戦記念日と靖国神社の参拝問題など、日韓の間には一触即発の難題が山積している。韓国側は攻勢をかけ、日本を糾弾することに腐心。それに対し、日本の多くの国民は「韓国民族の執念」に戸惑いを感じている、といった構図だろう。どちらの主張が正しいかと書くつもりはない。そのような試みは日韓の両側でこれまで何度もやってきたことであり、それでは対立は解決できないことは明確だからだ。
ここでは韓国キリスト教会指導者の立場を考えざるを得ない。イエスの教えを信望する韓国キリスト教会は日韓問題で過去、どのような発言をしてきただろうか。韓国キリスト教会聖職者は日韓の「正しい歴史認識」問題では普通の韓国国民と同じように、日本を批判してきた。韓国キリスト教会聖職者から、「われわれは悲しい体験をしたが、日本側を批判するのではなく、許し、愛して一体化すべきだ」と諭した聖職者は少なく、むしろ率先して日本の過去を糾弾してきた。
ここまで書いてくると、韓国キリスト教会聖職者たちは、寺院で反米、反西欧社会を扇動するイスラム教法学者の姿と重なってくる。愛と許しを実践したイエスを主に仰ぐキリスト教会関係者が日韓問題ではイエスの教えとは異なる歩みをしてきた。
韓国キリスト教会は日本の植民地時代、迫害されてきた。多くの教会は破壊され、信者たちは殺された。韓国キリスト教会には日本に対して消すことができない恨みがある。日韓の「正しい歴史認識」問題で、教会側が日本批判の先頭に立ったとしても不思議ではない。
とまれ、それでも、韓国キリスト教会指導者はイエスの道に倣い、許すことができない相手を許してこそイエスの証人となれるのではないか。イエスは「自分を愛する人を愛してもなんの報いがあろうか」と述べ、愛せない人を愛することの大切さを強調している。
韓国のキリスト教会聖職者たちが「わが民族には恨みがあるが、それを乗り越え、日本を愛していこう」と率先して国民に語り掛けていたら、政治的思惑から反日発言を繰り返す政治家が出てきても、日韓両国は今日のように悲しい関係とはならなかっただろう。
日本人の当方は韓国キリスト教会聖職者に要求できる資格を有さないが、韓国のキリスト教会指導者たちは日韓両民族の和解で大きな役割を果たせると信じ、私見を述べたまでだ。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年8月19日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。