対韓外交は「無為」「無策」「無関心」の「三無」に限る!

北村 隆司

松本徹三氏の「日韓関係の改善は急いでも無駄」と「『歴史認識』と『未来志向』」及び、大田あつし氏の「日韓歴史認識の齟齬 ~ 韓国人の『自己統治』への道」と題するアゴラ記事を読んだ。

日韓両国の実情に詳しい碩学が、冷静に、しかも正確を期すべく慎重な筆運びで書いた記事だけに学ぶ事も多く、感銘すら覚える秀作だと思った。

どの国の歴史も、近隣国との争いや自然災害に悩んだ過去を持ち、性懲りもせず同じ失敗を繰り返して来た。


しかし、日韓関係の論議で驚くと言うか落胆するのは、日本の国民や政治指導者(左右を問わず)の多くが、経済発展段階に比べて極度に成熟度が劣ると思っていた韓国レベルと大差ない事だ。

これでは、松本、大田両氏をはじめ多くの冷静な識者がいくら頑張ろうと、その主張を実現する事は不可能に近い。

換言すると、日本にも「俺の考えは実体験に基つくのだから、間違いなく正しいが、お前の考えはどんな根拠や証明を示そうとも間違っている」という感情的な主張が多すぎる事である。

「お前が本当の戦争の原因だ!」「韓国人は信用できない!」と言う類いの怒りと憎しみの「感情」は、他人に伝達する術もなければその感情は更新もせず、ただ淀むだけで、未来志向には全く役に立たない。

それでは、我々はどうしたら良いか? 

私は、この難問を快刀乱麻を断つが如く解決できる回答は持ち合わせていない。

しかし、暴論と非難される事を覚悟で申し上げる結論は、韓国から懇情されるまで「無関心」「無為」「無策」の「三無」政策を押し通す事だ。

その理由の第一は日中関係とは異なり、日韓両国にはお互いの相違を超えて妥協しなければならないインセンティブや緊急性に欠ける事である。

日本から見れば、歴史認識、靖国問題に加え、自分が気に食わない事を次々に見つけては対日批判を煽られる事にはうんざりしたのが正直な感想で、これ以上赤ん坊みたいな国をあやす時間はない。

この時期に「三無」政策を推奨する第二の理由は、激動する世界の政治、経済、技術の動向を見ると、日本が韓国を必要とする前に韓国が我が国の協力を必要とする日が来るに違いないからだ。

その前兆は既に表れている。日本とのスワップ協定を破棄した韓国だが、現に、世界的な経済危機に必要だとされている4,000億ドルの外貨準備高を割った事を心配しだしており、サムソン電子と並んで輸出の両輪である「現代自動車」の労働問題や輸出の先行き不安、汚職摘発問題による欧米の捜査、技術の税弱さなど多くの不安が出てきている。

それに北朝鮮の動向不安を加えると、韓国は日本の非難に追われるている余裕はない筈だ。

韓国のマスコミには、今の韓国経済は日本のバブル破裂の前夜に似てきたと騒ぎ出した新聞もあるくらいで、大成長したとは言え、核となる技術もなく、日本の20%程度の規模しかない韓国経済は落ち出したら早い。

一方、日本も「対韓無関心」の腹を固めたら、韓国の目を見張る進歩発展には敬意と賛辞を呈する位の最低の儀礼は持ち合わせる大人の国でありたいし、それくらいの自信を持たなければ、日本も世界から子供だと馬鹿にされるだけである。

もし、私の予想に反して、日本が韓国を必要とする日が先に来たとしたら、日本の国益を考え譲歩したら良いだけの話である。

ここで、寺田寅彦が、複雑になった20世紀の国防思想(特に全体を見据えた上での戦略)や防災の心構え(自然災害、人災を問わず)に於ける歴史(他人の経験)の役割について書いた「天災と国防」と言う小著を読み頂けるとあり難い。

その中から、誰もが知るビスマルクの「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ(注:ここで言う「歴史」とは、他人の経験を指す)」と言う格言と、同意味の事を述べた一節を、日本の親韓、反韓の両極の方に参考にして頂くために引用しておきたい。

寅彦は、:
「文明の進歩のために生じた対自然関係の著しい変化がある。それは人間の団体、なかんずくいわゆる国家あるいは国民と称するものの有機的結合が進化し、その内部機構の分化が著しく進展して来たために、その有機系のある一部の損害が系全体に対してはなはだしく有害な影響を及ぼす可能性が多くなり、時には一小部分の傷害が全系統に致命的となりうる恐れがあるようになったということである。
単細胞動物のようなものでは個体を切断しても、各片が平気で生命を持続することができるし、もう少し高等なものでも、肢節しせつを切断すれば、その痕跡こんせきから代わりが芽を吹くという事もある。しかし高等動物になると、そういう融通がきかなくなって、針一本でも打ち所次第では生命を失うようになる。」

これは、福島の原発事故、マスコミの混乱、縦割りの官僚機構に悩まされる今の日本を予測し、政治、経済、国防などあらゆる分野での「部分志向=縦割り志向」と経験主義の危険を諭し、この教訓は自然災害にも及ぶとして :
「昔の人間は過去の経験を大切に保存し蓄積してその教えにたよることがはなはだ忠実であった。過去の地震や風害に堪えたような場所にのみ集落を保存し、時の試練に堪えたような建築様式のみを墨守して来た。それだからそうした経験に従って造られたものは関東震災でも多くは助かっているのである。」

と他人の経験から学ぶ(歴史的経験)重要さを説いている。因みに、「東日本大震災」で損害の少なかった地域は、大概寅彦の教えに従った地域だと言う。

私自身、日本の大学のゼミの指導教官からも、アメリカの大学の教授からも「本を読むときは、部分的な誤謬に囚われず、全体の流れと本質を摑め」と厳しく忠告されたが、この忠告は松本、大田両氏の秀作に拒否反応した多くの読者にも当てはまる。

韓国の見せる異常な対日神経の敏感さを考えると、日本がポツダム宣言への意思表示で「ノーコメント」と言いたかった処を「黙殺」を意味する英文を使ったために降伏条件が厳しくなった経験は大いに役に立つ。

この苦い経験を活かし、韓国にも「無視」「黙殺」「冷淡」と誤解される失礼な態度や言葉は厳禁である。一方「隠忍」や「自重 」と思われる様な、無理もしてはならず、これからの対韓関係に必要なのは、日本の学生運動が下火になった時期に成人を迎えた「しらけ世代」の「しらけた態度」である。

自然な態度での「無関心」は、意外に相手を反省させ、考えさせる物である。

そして、これまで対韓交渉に使われた外交エネルギーは、ロシアとの北方領土交渉やTPP交渉、対中交渉に集中し、国内的には経済と科学技術の一層の発展に努力する方が、日本にとっては遙かに建設的である。

2013年8月20日
北村 隆司