「これ、事件にしないのかな」。7月末日、横浜駅西口の居酒屋に約30年前のサツ回り記者仲間7人が集った。「そろそろ中締めか…」と終電時間が気になり始めたころ、隣席の放送記者OBが、テレビのニュースを観ながら、そう、つぶやいた。テロップには「臨床研究論文データ操作問題」とあった。
■“オマケ”のデータ操作
ノバルティスファーマ社の高血圧症治療薬「ディオバン」の臨床研究論文をめぐるデータ不正操作が、臨床研究の危うさを浮き彫りにしている。「ディオバン」は医療用医薬品の中でトップレベルの売り上げを誇る。データ操作が指摘されている脳卒中や狭心症などの効果はあくまで副次効果であり、言葉は悪いが、子ども向けチョコレートやラムネ菓子の“オマケ”のようなもの。オマケの研究データを操作し、それが発覚して売り上げが激減しては元も子もない。ノ社は会社ぐるみの関与を強く否定しているが、営業的な打撃は避けられないだろう。
それにしても、今の臨床研究はどうなっているのか。マスコミの論調には「治験には薬事法が適用されるのに対し、治験や先進医療を除いた臨床試験は薬事法でなく、厚生労働省の倫理指針に基づいている。指針ではなく、薬事法を適用すべきだ」という指摘が多い。法による規制強化だが、単純すぎないか。
▽ ▽ ▽
一連の記者会見から分かることは、(1)データの管理や分析さえできない大学医学部の無能ぶり、(2)社員の勤務実態を把握していない(把握していれば組織ぐるみ?)ノ社の無責任ぶり、(3)臨床研究を所管する厚生労働省の怠慢ぶり──だ。
京都府立医大と東京慈恵医大は記者会見で「ノ社の社員(退職)がデータ操作した」と主張。京都府立医大は担当した医師がデータを動かす環境や立場になかったことを強調していた。医師がデータの解析には疎かったというのだ。本当だとすれば、データ解析さえできない教授が論文を発表し、オマケにお墨付きを与えていたことになる。
こういう先生には、医療倫理より、統計学の基礎から勉強させたほうがいい。「一部の臨床研究論文は寄付金の領収書代わり」(公立大学法人)との指摘さえあるという。
ノ社の対応もおかしい。第三者委員会による自社調査を実施。元社員が他の大学の肩書きを使って研究に関与していたが、元社員の説明や社内メールなどを根拠に「元社員がデータ操作したかどうかの証拠が見つからなかった」と発表した。
しかし、京都府立医大は「カルテとの記載事項が異なっていた」としてデータ操作の可能性が高いと発表。また東京慈恵医大も「血圧データに人為的操作があった」と発表。ノ社は再調査して2大学との食い違いを説明すべきだ。
一方、田村厚労相は「(ノ社の)対応に納得していない」と不快感を露わにし、第三者委員会による調査に意欲を見せている。
だが、仮にすべての臨床研究に治験並みの薬事法を適用し、データの保存や報告を義務付けたとしても、根本的な解決につながるかどうか疑問だ。今や製薬会社などの協力なしでは、資金的、人材・能力的に臨床研究そのものが成り立たなくなっているのが現実だからだ。
法的規制を強化して「臨床研究の中立性」を遵守させることも大事だが、第三者が関与できるシステムを導入し、産学協力を可視化することも必要ではないか。今のままではアベノミクスの成長戦略どころか、産学のもたれ合いに直結しかねない。
楢原 多計志
共同通信客員論説委員
編集部より:この記事は「先見創意の会」2013年8月20日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は先見創意の会コラムをご覧ください。