終身雇用を当たり前のスタイルとして就職した人たちは今や40代半ば以降の人かもしれません。私が20代後半の頃、転職するなら30代前半まででそれ以上遅れると無理といわれていました。また、転職で必ずしも今の待遇よりよくなるというチャンスも少なかった気がします。
それから20年、日本の雇用体質は大きく変わりました。外資系企業が有能な社員を高給でスカウトするなどしていわゆる終身雇用のスタイルが大きく崩れてきました。新興企業の目覚しい成長もありました。企業のリストラに伴い、希望退職で中国や韓国の企業に採用される技術者も多いとも聞きます。まさに日本の雇用体系は北米化しつつあるようにも見えたのです。
一方で非正規雇用が全体の三分の一を占めるまでになり「社員になりたい」という希望の声がより大きくなってきている気もします。公務員になりたい人が増えているのは安定と自分の時間の確保という幸せの追求の仕方がバックグラウンドでしょうか? まさに先進国に於ける人生選択のゆとりともいえるのではないでしょうか?
たとえブラック企業と称されても案外その企業の退職率が高くなると言い切れないこともありそうです。先日もある良く知られているブラック企業の社員さんとお会いしましたが、「あぁ、あれは一部門だけでとても居心地のよい会社です」と平然としていました。いわゆる「木を見て森を見ず」ということでしょうか。
考えてみれば高度成長期はとにかく貧しさからの脱却、そして働けば働くほどお金がもらえ、世の中には次々と欲しくなるものが溢れかえり人々のベクトルは同じ方向を向いていました。日本企業が大きく成長したのはぶれない企業の力だったと思います。80年代はまさにその究極ともいえ、高級車、ルイヴィトンなどの高級ブランド、ハワイなどの海外旅行を皆目指したのです。
ところが90年代に入り、景気が落ち込んだこともありますが、人々の発想は「個の時代」に突入します。多品種少量生産の工程が当たり前になったのは「人のものまねをしたくない」という若い人たちの強い声でした。今、その延長線の中で、仕事の意味合いも大きく分かれてきた気がします。
えらくなりたい、金持ちになりたい、成長や成功したい、という前向きの姿勢の人と家族や自分の時間や幸せを追求し、会社は一定の給与を貰うための労働提供の場と考える向きの二通りにはっきり分かれてきた気がします。実は後者のほうはキリスト教のアダムとイブの禁断のりんごの話に似ていて、欧米の人が「労働はりんごを食べた罰」という発想に通じるものがある気がします。
私の顧客であるバンクーバーにある某大手チェーン系のホテルではその従業員の勤続年数の高さが目を引きます。20年、30年はざらなのですが、理由は給与以外の待遇にありそうです。同一チェーンのホテルなら勤続年数で宿泊できるなどのメリットなのですが、これは航空会社でも同じことが言えます。
そこには会社にいて仲間と仕事をすることが楽しいし、家族や自分のためになるという価値観が存在しているように思えます。結果としてそれは企業が首に出来ない終身雇用という形態ではなく、社員が一生懸命仕事をして首にならないように頑張っているというように見えます。
日本の終身雇用が変質化するとすれば法律で規制するのではなく、社員が自主的に労働のゴールをするほどの魅力と頑張りが今後の雇用を左右するということかもしれません。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年8月21日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。