金子 熊夫
外交評論家 元東海大学教授 (初代外務省原子力課長)
気になる六ヶ所工場の前途と米国の出方
翻って、話を原子力平和利用に限ってみれば、当面の韓米の再処理問題の帰趨が日本の原子力政策、とりわけ核燃料サイクル政策にどのような影響を及ぼすだろうか。逆に、日本の核燃料サイクル政策の変化が韓国の再処理問題にどう影響するか。日本ではこのような視点で考える人はあまりいないようだが、実は、この問題はかなり微妙な問題である。
確かに現行日米協定で再処理の「包括的事前承認」方式が確保されているので、当面は心配いらない。しかし、この方式はあくまでも協定の有効期間(1988年から30年間)であって、2018年以降については不透明である。とくに、本格稼働が大幅に遅れている六ヶ所再処理工場については、協定有効期限の18年以後どうなるか、甚だ微妙と言わざるを得ない。
「権利の不行使は権利の放棄」という法諺があるが、もし六ヶ所再処理工場の本格操業がさらに遅れ、日本の核燃料サイクル政策が大きく動揺するというような状況になれば、再処理は日米協定に基づく日本の「既得権」だから、将来的にも大丈夫だとは言えなくなるだろう。
米国にしてみれば、韓国などの手前、日本にだけ特別に再処理を認めるということは望ましくないので、できれば喧嘩両成敗のような形で日本の再処理にも何らかのブレーキをかけたいと考えている節がある。そのような声が米議会内にあることは確かだ。
もちろん、日米同盟関係維持を重視する「親日派」の間には、日本の原子力、とりわけ再処理を軸とする核燃料サイクルの権利を引き続き認めるべきだという意見は決して少なくない。その代表格は、昨年8月、当時の日本・民主党政権の「原発ゼロ」政策を厳しく批判し、日本は国力低下により二流国に転落してもよいのかとストレートに疑義を呈した報告書を発表したリチャード・アーミテージ氏(元国務副長官)、ジョゼフ・ナイ・氏(ハーバード大学教授)らだ。
他方議会や学界には強烈な核不拡散論者(イコール再処理反対論者)がいて、日本に対しても厳しい目を光らせている。彼らは、この際何とかして日本に再処理を断念させ、権利を放棄させたいと狙っているようだ。
とはいえ、日本の再処理の権利は現行日米協定ではっきり認められているものなので、米国が一方的に取り消すことはできないのは言うまでもない。しかし、日本が国内事情で自発的に放棄すれば話は別で、米国はその方向に持っていきたい腹だとも考えられる。今回韓米協定が2年間暫定延長され、継続交渉となった背景には、その間に六ヶ所工場の成り行きを見極めようという米側のしたたかな意図も透けて見えるような気がする。
日本原燃は背水の陣で臨め。規制委は審査を急げ
さればこそ、六ヶ所工場は是非ともできるだけ早期に本格稼働に漕ぎ着ける必要がある。日米協定上の既得権だと思っていつまでも安閑としていてはいけない。もし、ここで日本が動揺し、再処理路線を放棄したら二度とこの権利を回復することはできないだろう。直接の当事者である日本原燃には、それだけの認識と覚悟を持って一層奮励努力してもらいたい。まさに退路を断って背水の陣で臨むべきで、今度また失敗したら後がないと肝に銘ずるべきだ。
ところで、六ヶ所工場は度々の不具合による計画の遅れで、完成一歩手前で足踏みしてきたが、ようやく今年5月末に最終工程の技術的な問題(高レベル廃液のガラス固化試験等)をすべてクリアし、ついに10月に予定通り操業開始の運びとなり、後は、国の使用前検査を残すのみとなっていた。
ところが、5月末になって突然原子力規制委員会は、同工場の規制基準の策定が間に合わないとの理由で「待った」をかけてきた。新しい規制基準案は目下パブリックコメントにかけられており、年末までには正式に施行工される予定となっている。その後日本原燃が運手許可申請を提出し、原子力規制委員会の審査が始まるので、もし許可されるとしても、操業開始は早くても来年春以降にずれ込む見込みである。
目下原子力規制委員会では、7月初めに施行された原子力発電所の新規制基準に従って原発再稼働のための審査を行っているところで、この作業を最優先するのは当然だ。再処理工場の操業の審査が多少遅れるのはやむをえない。
しかし、伝えられるように事務方のマンパワーの問題があって、再処理工場の審査は後回しとせざるを得ないというのであれば、急遽マンパワーを大幅に増員すべきであり、政府はそのための予算など応急措置を迅速に講ずるべきだ。原発が停止したままで化石燃料の購入費が急増し、巨額の国費の流出が続くことに比べれば、規制庁の人件費など全く問題とするに足りない。
他方、原子力規制委員会はかねてから、六ヶ所工場が立地する下北半島の断層も調査する意向を示している。この点については、門外漢である筆者は発言を差し控えるが、普通の原子力発電所と再処理工場が異なっていることは明らかであり、これらの点は十分考慮されるべきであると思う。
原子力規制委員会は、設置法で高い独立性を保証されているから、あまり圧力や干渉めいたことを言うべきではないという意見もあるが、是非とも本稿で述べたような国際政治、外交上の事情を十分配慮して、出来るだけ速やかに、かつ現実的な対応をしてもらいたいものだ。規制委員会は原子力の安全性を確保するのが主目的で、原子力を廃絶に追い込むことではないはずである。
六ヶ所工場の早期稼働を必要とする理由
ところで、3・11事故以後、国内には、原発再稼働問題とは別に、再処理路線自体の見直し論議が燻っており、従来の全量再処理を断念して全面的ないし部分的な直接処分(暫定貯蔵)方式に切り替えるべしとの意見が出てきている。
これは日本の核燃料サイクル政策の根幹に関わる重要問題であり、昨年夏から秋にかけて民主党野田政権下で不用意に議論しかけたが、あまりにも多数の複雑な問題が絡んでいることが分かって、閣議決定もできず、途中で放り投げてしまった。今後自民党安倍政権下で、原子力を含む国のエネルギー政策全体を再構築する中で、徹底的な検討が行われるものと思うが、この機会に私見の一端を申し述べておきたい。
改めて言うまでもなく、再処理問題については、地元青森県やその他の原発立地県も巻き込んだ難しい検討は避けられない。さらに、この問題には、米国、英国、フランスなどと長年築き上げてきた協力関係(技術的、経済的)が複雑に絡んでいるので、そうした面にも十分な目配りが必要なことは言うまでもない。
この点でとくに微妙なのは高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)との関係だ。トラブル続きの「もんじゅ」計画、あるいは高速増殖炉開発計画自体が反故になれば、プルトニウムの必要性がなくなる、MOX燃料を使ったプルサーマルも再開が難しい、となれば六ヶ所工場は不要になる、いや全く不要にならないまでも大幅に操業規模を抑え、使用済み燃料の直接処分または中間貯蔵方式をできるだけ拡大すべきだ等々という議論がある。
しかし、これらの議論は、余りにも短絡的だ。仮に「もんじゅ」計画が中止となり、プルサーマルの実施が多少遅れても、六ヶ所工場の必要性は無くならないと思う。もともと再処理には、1・使用済み核燃料の大幅減容(再処理しない場合に比べて数分の1程度に減るとされる)、2・長寿命高レベル核廃棄物の消滅(核変換。ただしこのためには高速増殖炉が必要)、3・本来のウラン資源の有効利用(エネルギー安全保障)などというプラスの面が多々あるので、これらの点を慎重に検討し、適正に判断すべきであって、拙速に結論を出すべきではない。
筆者は、冒頭で断ったように、技術面では素人であるから、1と2については専門家同士の議論と判断に譲るほかないが、3については、まさに36年前の対米交渉の際に米側に対して強調したように、日本のエネルギー安全保障という広い視点に立って、ダイナミックに考えなければならないと思っている。
日本のエネルギーの脆弱性、いつの時代も変わらない
確かに36年前当時と現在では客観的状況が大きく異なっている。当時は原子力発電の急増期でウラン資源の枯渇が懸念され、その効率的利用として再処理が不可欠と考えられたが、現在では、ウランの需給関係はそれほどタイトではない予測されている。しかも、化石燃料についても、米国の「シェール革命」で大量の天然ガスが比較的安価に購入できる可能性が出てきている。
しかし、その天然ガスにしても、LNGにして実際に米国から日本に輸出されるまでにまだかなりの時間を要し(早くても2017-18年ごろとされる)、その間に高値に転ずる可能性が十分ある。米国も戦略物資であるエネルギー資源を無制限に輸出するわけではない。いずれにしても日本の需要を満たすだけの量を将来確実に確保できるという保証はない。
近時プーチン・ロシア大統領が盛んに日本に売りたがっている天然ガスについても同様だ。同大統領の「エネルギー外交」がいかに強引で自己本位であるか。ロシア産ガスに依存していた東欧諸国(旧ソ連圏)が蒙った被害を忘れてはなるまい。
また、天然ガスとて決して無尽蔵ではなく、大量に使えばいずれ必ず枯渇する。さらに、安いからと言ってガスや石炭を大量に燃やせば必ずCO2が増え、地球温暖化を促進する。かつて鳩山元首相は「CO2の25%削減」を国際的に宣言して大見得を切ったが、3・11以後日本の排出量は増える一方なのに、誰も気にしない振りをしている。今のところ国際社会も大目に見てくれているが、この状況がいつまでも続くと見てはいけない。早晩日本は温暖化の促進者として国際的な批判を浴びることになるだろう。
昔も今もエネルギー資源は日本のアキレス腱である。無資源国としては、甘い見通しは禁物である。エネルギー政策は国家百年、二百年の長期的視点で考えねばならない。そこに、準国産エネルギーとしての原子力の存在価値があり、それを軽々に手放してはならないことに変わりはない。
(その4に続く)(全4回)