国際原子力機関(IAEA)を取材するメディア関係者でこの人の名前を知らない者はいないだろう。定例理事会が開催される度にその人の名前はプリント・メディアの紙面やTVの画面を飾る。‘最も著名なイラン外交官‘といわれてきたIAEA担当のアリ・アスガル・ソルタニエ大使だ。今月末、テヘランに戻る。
▲今月末、離任するイランのソルタニエ大使(2008年10月、駐オーストリアのイラン大使館内で撮影)
当方は8月27日午後、ウィーンの国連内で同大使と会い、これまでの交流に感謝した。大使は笑いながら、「君はいいジャーナリストだよ」と、珍しくお世辞をいいながら、「機会があればまた会いたいね」と語った。
「大使、テヘランの新しいミッションは何ですか」というと、「ひょっとしたら、私の妻が内相に任命され、それを支える立場かな」と冗談をいい、いつものように質問をぼかした。
当方は2008年10月30日、ソルタニエ大使とウィーンのイラン大使館で単独会見をしたことがある。当方は大使と結構いい関係を維持していた。イラン大使の公邸で開かれる祝賀会にもよく招待状を貰ったものだ。
しかし、「あの日」から関係は急速に冷えていった。北朝鮮の最高指導者・金正日労働党総書記が2011年12月に急死、駐オーストリアの北朝鮮大使館(金光燮大使、金正日労働党総書記の義弟)で同月20日午後、駐ウィーンの外交団の弔問が始まった。当方は北大使館前に待機し、欧米の大使館からどのような人物が弔問の記帳にくるかを見守っていた。
最初に北大使館前に駐車した外交官車が何とイランのソルタニエ大使の車だったのだ。大使は当方が北大使館前にいるのを見つけると、不審な顔をしながら大使館内に入った。記帳後、出てくると、「君、こんなところで何をしているのか」と不愉快な表情を露わにしながら去っていった(ちなみに、その直後、国連工業開発機関(UNIDO)副事務局長の浦元義照氏が大使館内に入って記帳している)。
それからだ。ソルタニエ大使は当方に対して警戒しだした。ひょっとしたら、北大使館関係者が当方のことを韓国の情報機関関係者だと大使に告げ口したのかもしれない。IAEAの理事会会場前で会っても挨拶を交すことがなくなった。当方はソルタニエ大使の変貌の背景についていろいろと考えた。
その大使が離任直前、当方に対して笑顔をみせながら冗談までいってくれたのだ。当方も緊張していた気持ちがほぐされたような気分になった。
大使は米国外交官も恐れるほどの弁舌家だ。その上、核物理学者だ。専門的な核問題となれば他の外交官ではついていけない。その大使がテヘランに帰国する。ロウハニ新大統領は前政権時代の強硬路線のイメージを払拭するためにソルタニエ大使を呼び戻したのではないか、とウィーン外交関係者は見ている。同大使は近い将来、同国の核政策の上で重要な役割を担い、世界の表舞台に再び出てくるのは間違いないだろう。
なお、同大使は5年前の当方との会見の中でイスラエル軍のイラン核施設空爆の危険性について言及し、「イスラエルがわが国の核施設へ軍事攻撃を加えれば、明らかに国連憲章違反だ。国連安保理は即、対応に乗り出すべきだ。イスラエルが軍事攻撃を掛けるならば、われわれはもちろん黙っていない。厳しい応答をする」と警告している。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年8月29日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。