日韓関係について、もう一度考えてみたい

松本 徹三

前回と前々回のアゴラの記事に続き、終戦記念日(韓国では光復節)の後数週間にわたり、この問題に焦点を当ててTwitterで色々な事を言ったら、色々な人が書かれた色々な記事を方々から送って頂いた。「歴史認識と未来志向」と題した前回の記事については、残念ながら、Facebookで「いいね」と言ってくれた人は殆どいなかった。その理由は勿論分かっている。論旨が常識的で、玉虫色で、「痛快ではない」からだろう。こうなると、この議論はもう少し続けざるを得ない。


Twitterで頂いたコメントのお陰で、BLOGOSに掲載されていた浅羽祐樹先生の極めて精緻な論考を始めとして、私がこれまで知らなかった事も多く勉強させて頂いたが、浅羽先生のものを除くと、一般的に日本人の方々のコメントの多くはステレオタイプで、「戦前戦中に日本が行ってきた事は必ずしも悪い事ばかりではなかった」という論旨のものが殆どだ。

韓国から聞こえてくるものや、日本の「自虐史観」系の人たちの言説が、事実関係の検証を欠いた感情的で一方的なものが多いので、それに対する反発から書かれたものだとは思うが、ここで終わってしまっていては、全体の本質を語る事にはならず、そもそも議論の態をなしていないとさえ言える。

さて、日韓の間での「歴史認識」に関する見解の相違の最大の原因は、日本による韓国併合に関する「事実関係についての認識」が双方で異なっているのではないかと、私は常々考えている。だから、先ずはこの問題から検証するのが筋だと思う。

この問題についての私の認識は、明治大学の海野先生の書かれた「韓国併合」(岩波新書)から学んだものにほぼ限られており、海野先生の語り口は心情的には韓国・朝鮮寄り(進歩的文化人寄り)と感じられたので、その点には十分注意を払ったつもりだが、少なくともその内容には、事実関係を曲げているところがあるとは全く思えなかった。日韓の「歴史認識」問題を語るからには、この様な本を通じて、少なくとも「歴史的な事実関係」だけは、先ずはきちんと勉強しておく事が最低限必要だと思う。

当初の単純素朴な「攘夷論」から現実的な「開国論」に急転換し、渾身の努力で急速な近代化を成し遂げ、欧米諸国の餓狼の牙から辛うじて身をかわした当時の日本の指導者の目からみれば、李朝末期の朝鮮は、清朝末期の中国と同様、未だに怠惰な「時代錯誤」の中にあるように見え、放置すれば米国やフランス、ロシアなどの餌食になるのは時間の問題と思われただろう。だから「それならば日本が先手を打って、幕末の志士のような改革勢力を育てて、自分たちの勢力圏内に囲い込もう」と考えたのは、むしろ当然だったと思う。

しかし、日本が国としてとった現実の行動は「露骨な砲艦外交」と「狡猾な陰謀工作」であり、とても胸を張れるものではなかった。要するに欧米諸国の遣り口をそのまま真似たにすぎない。当初は、中国の革命の旗手だった孫文を支援したように、韓国の開明派を助けるという気持ちもあったとは思うし、現実にも、結果として韓国の為になった事もあったかもしれないが、その程度では、あの様な「あからさまな侵略行為」を正当化するわけには到底いかない。

結局、日韓併合は、形式上は「韓国の皇帝が統治権を日本の天皇に譲りたいと申し入れ、天皇がこれを受け入れた」という「任意併合」の形で行われたが、誰が考えても、武力を背景にした恫喝がなければ、こんな事が起こるわけはない。にもかかわらず、当時の日本人は、色々なこじつけでこれを正当化しようとしたし、当時の韓国人は、身の安全を守る為には沈黙するしかなかったのだと思う。

その時はそれでも仕方なかったのかもしれないが、問題は、このような姿勢が現在の日本人の中にも相当染み込んでいる事である。私も驚いたのだが、例えば、1965年11月に行われた衆議院日韓条約特別委員会では、当時の佐藤栄作総理大臣が「韓国併合条約は、対等の立場で、また自由意志で締結された」と述べていることが記録に残っている。どれだけ事実関係を勉強されたのかは知らないが、同じ様なことを言いたてる日本人は私の周辺にも数多くおり、私はいつもこれに辟易している。

因みに、世界の歴史上、一国の君主が自ら進んで他国の君主に統治権を譲り渡した例(形式上の「任意併合」の事例)は、アメリカによるハワイの併合が唯一である。この時は、独立国であったハワイに入植したアメリカ人が、軍艦による示威を背景に、意を通じた高官にクーデターを起こさせ、リリウオカラニ女王(アロハオエの作詞作曲者であることでも有名)を宮殿に幽閉して、退位を強要したのだ。

日本人はまた、「併合は、植民地化(保護国化)に比べ、『相手の為を考えたより良い方策』であり、日本は近代化の遅れた韓国を助けて、貧困から救おうとしたのだ」と強弁する事が多いが、当時の日本国内での論調をつぶさに検証してみれば、それが「後から付け足した綺麗事」でしかない事はすぐ分かる。当初の「征韓論」に至っては、「下級武士の不満の捌け口を求める」という利己的な理由を隠そうともしていない。

仮に日本の投資によって当時の韓国民の平均的生活水準が若干上がったという事実があったとしても、これによって併合を正当化のする事などは到底出来ない。何が良い事で何が悪い事かは、その国の人たちが決める事であり、外部の人間が決める事ではない。また、多くの場合、その国の人たちにとっては、「民族としての独立と誇りを守る」事のほうが、一時的な経済メリットより重要なのが通例でもある。

更に時を経て、韓国が日本に併合されていた間中、一般の日本人が一般の韓国人や朝鮮人を蔑視して、同国人でありながらあからさまに差別してきた事も紛れもない事実である。「内地」と「外地」の区別は歴然で、「外地」の住民には参政権もなかった。日本人は先ずはその事実を認め、その事について、心から「相手に対して大変悪い事をした」と反省するのが当然だ。日本人がこれを逡巡する理由は全く見当たらない。

当時の韓国人は、(それを嫌らしいと感じる人たちも多いが)自らを「小中華」と呼ぶほどに「儒教の優等生」である事に大きな「誇り」を持っていた人たちなのに、日本は、この「誇り」に一文の価値も認めず、儒教をベースとして長年の間に身体に染み込んでいた「文化」や「哲学」や「生活規範」、同一民族の間で毎日話してきた「言葉」、世界一合理的に出来ていると自負してきた表音文字の「ハングル」、儒教的価値観の根幹としての「家父長システム」のベースとなる「苗字」や「本貫」、等々の全てを根絶やしにして消滅させるような政策を取った。こんな事は、韓国人にとっては許し難い「暴挙」であり、これに対する韓国人の「悲憤」のレベルは、日本人の想像を遥かに超えるものだった事を、我々日本人は先ずは理解しなければならない。

私がいつも不思議に思い、且つ怒りを感じているのは、「この様な至極当然の事を、先ずは率直に認め、きちんと謝罪する事」を潔しとしない日本人があまりに多いという事だ。日本人は、今や「いつまでも同じ事を言い募る韓国人」を異常と感じ、日毎に違和感を募らせているが、その最大の原因は、実はこの様な自分たちの態度の中にあるのだという事を、先ずは理解するべきだ。「歴史認識の問題の根幹は実はここにある」と理解する事こそが、全ての出発点だと私は思っている。

勿論、韓国人に対しても、私には言いたい事が山ほどある。「何故、十分な検証もしないで、或いは事実ではなかったのを知りながらも、色々な事を際限もなく言い募るのか?」「どんな事にも良い面と悪い面があるのに、韓国側は日本人がやった事のうちの良い事は一切認めようとせず、韓国人の中にその事に言及しようとする人(例えば呉善花さんのような人)がいると、『非国民』扱いにして言論を圧殺しようとしている。何故、こんな不当な事を平然としてやるのか?」「何故、韓国の学校では、日本人のかつての悪行を極端な迄に誇張して教えるのか?」「そもそも、韓国人には本当に日本人との友好関係を作ろうという気持(未来志向)があるのか?(その気持ちが少しでもあるのなら、こんな事はしない筈だ)」等々だ。この点では、私も一般の「嫌韓」の日本人とあまり変わらない。

「従軍慰安婦」の問題はその一つの典型例だ。韓国の活動家たちは「日本軍の兵士が銃剣で脅して村々から少女たちを拉致した」という印象を与えるような「明らかな嘘」を全世界に言いふらして、日本民族が元々「残忍で女性や異民族を蔑視する民族」であるかの如く宣伝している。これは明らかに「名誉毀損」に該当する犯罪行為であり、こんな事をされれば、私のような韓国に人並み以上の親しみを感じている人間でも、日本人である限りは、本気で怒る。

この為に、「坊主憎くけりゃ袈裟まで」で、「韓国人の言う事はみんな出鱈目だ」と思い込んでしまう日本人が増える事は、韓国の為にも全くならないと思うのだが、何故こういう事に政府までが加担するのか? 朝日新聞のように、憑かれたように「進歩的文化人」路線に固執するジャーナリズムや、共産党や社民党のように、「嘘と誇張の多い自虐史観」を事あるごとに喧伝している勢力が日本に存在するのを見て、「日本人は嘘には鈍感」と考えているのかもしれないが、それはとんでもない考え違いだという事を、私は韓国の人たちに先ずは指摘しておきたい。

この様に書いてくると、日本人からも韓国人からも、「あなたは一体どちらの味方なのか?」と問われるだろうが、このような問いこそが、現在の日韓関係の本質を象徴している様に私には思える。敵か味方かという「白黒二元論」の発想を捨て、事実関係を公正に見詰め直し、是々非々で議論して、少しでも相互理解を深めようとする気持が双方にあれば、問題は早晩解決すると思うのだが、現状はまさに双方がその反対の方向に進んでいるかの様だ。

「日韓関係の改善は急いでも無駄」と題した前々回の記事でも書いたが、日韓の経済的な相互依存度はさして大きくないから、「『反日』『嫌韓』が更に増幅されても、さして深刻な問題は生じないだろう」という冷めた見方をする人たちが、日本には多いようだ。また、韓国内には、「とにかく日韓の関係を悪くしたい」と考えて、その為に色々仕掛けてくる勢力が厳然として存在しているのも、恐らくは事実だろう。しかし、共に「国益を最大化する責任」を国民に対して負っている「両国の政府」はどうなのだろうか?

先ず、韓国の朴政権は、既に左翼勢力の術中に嵌りかけているかのようだ。「強い非難を浴びせ続ければ、日本側はそのうちに折れるだろう」とはまさか考えてはいないだろうが、それならば、「落としどころ」としてはどういう事を考えているのだろうか? そして、その線で収まる可能性があると考える根拠は、一体何処にあるのだろうか? ここのところが全くもって分からない。現在のやり方では、日韓関係は今後益々悪くなるしかないと思うが、そこから生じる国益の毀損の責任は、結局は政権党が負わされるのだ。

かつての李政権も現在の朴政権も、鳩山─小沢ラインが異常なまでに親韓だったのに惑わされて、平均的な日本人の本質を未だよく読めていないのではないかと思う。日本人の多くは、既に「韓国と本気で付き合うのはもう面倒臭い」と考え始めているが、これがビジネスにまで波及すると、日本経済ほど懐の深くない韓国経済のほうが、受ける打撃は大きいだろう。そして、これは、サムスンのような大企業よりも、むしろ中小企業を直撃するだろう。その上、政府は、「対日関係で一向に成果が出せず、『日帝が懲りずに妄言を繰り返す』のは、現政権のやり方がまずいからだ」という批判を、何れにせよ野党から受けるだろう。これではまさに踏んだり蹴ったりだ。

それでは、安倍政権のほうはどうだろうか? 中国問題と北朝鮮問題を抱える米国にすれば、「共に事に当たるべき日韓の離反」等という事態は、信じられない程馬鹿げた事で、もし、その最大の原因が「過去を美化したいという安倍首相自身の単純な欲求」にあると考えるに至れば、「そんな贅沢は後回しにしてくれ」という圧力をかけてくるのは当然だ。

朴大統領が秘かに期待しているほど米国は単純ではなく、韓国の主張をそのまま日本に押し付けてくる事等は金輪際あり得ないだろう。しかし、出方が読みにくい中・韓に比べ、「手の内を既にさらけ出してしまっている安倍首相のほうが扱いやすい(妥協を求めやすい)」と考える事は十分あり得る。そうなると、日本は米国からいいようにあしらわれた上に、「蓋を開けてみると、米国は多くの点で中・韓に配慮し、日本は孤立に追い込まれていた」という悪夢のようなシナリオに直面するリスクも全くないとは言えない。

だからこそ、私は、取り敢えずは日韓両国の政府に対して、「極東情勢を望ましい形で安定させるという大目的の為に、今こそ勇気を持って流れを変え、日韓関係改善の為の現実的で且つ画期的な手段を、直ちに講じるべきだ」と、強く訴えたい。こんな事でアメリカを困らせ、「戦略眼の不在」をあからさまに印象づけるのは、同じ東洋人として実に恥ずかしい事だからだ。

具体的には、お互いに信頼出来る経済人などを仲介役にして、両国首脳が秘かに腹を割って話し、お互いの国益に資する様、下記を相互に言明する事が望ましい。こうする事によって、両国の現政権は、お互いに相手国の現政権を助け、両国の離反を秘かに狙っている勢力の野望を打ち砕く事が出来るのだ。

1)日本政府は、首相談話の形で、「村山談話の継承」をあらためて明確に確認すると共に、更に一歩前に進んで、「日韓併合の歴史的事実関係」を相互に確認し、これが「不当な強制的併合」だった事を両国の共通認識として確認する。これと並行して、日本は、更めてその過去の行為に対し「深い遺憾の意」を公的に表明し、同様な事が将来起こる事はあり得ない事を保証する。

2)韓国政府は、現在の政権が継続する限りは、未確認の、或いは誇張された事実をベースにした日本への非難を、国としては行わない事を約束する。これに関連して、教育のあり方も再検討する。これと同時に、「両国間において締結され相互に批准された国際協定があれば、それが全ての国内での『ベキ論』に優先する」という「国際法上の常識」についても、この際あらためて相互に再確認する(全てのベースにある「請求権協定の韓国憲法に対する抵触」の問題は、韓国が「自国内の問題」として解決する)。

重要なのは、上記の二つの「言明」を、ここに至った話し合いの経緯はどうであれ、最終的には、両国政府が「自らの判断と信念」に基づいて、それぞれのイニシアチブで行ったという形にする事であり、「相手に言われたからやった」という形にはしない事だ。日本側について言うなら、相手がどう対応しようと、これは一方的にやるべきだ。損得の問題ではなく、これが「正義」であり、「日本としてやるべき事」だからだ。逆に言えば、これを自ら進んでやらなければ、日本と日本人は、何時までも「卑怯者」の誹りを受け続ける事になるだろう。

相手方が結局何もしなかったらどうするか? どうもしない。そういう場合には、「最早この相手との真剣な話し合いは意味がない」と最終的に判断し、今後は何を言われても相手にしなければよい。日本側はやるべき事は全てやったのだから、欧米諸国も理解するだろうし、今後の全ての国際的なプレッシャーは韓国側が受けねばならなくなる。

子供染みた「面子」の問題を別にすれば、これで日韓両国とも何か失うものがあるのだろうか? あるのなら具体的に言ってほしい。勿論、両国とも「弱腰だ」と言い立てて騒ぐ連中は山のようにいるだろう。しかし、そんな連中の事は意に介さず、あくまで冷静に国際的な信用と国益を追求する事こそが、政治家のなすべき事だ。

現実問題としては、「そんな事が簡単に出来るわけはないじゃあないか」として、双方から一笑に付されるのが関の山かもしれない。しかし、こういう話し合いを通じて、「双方が相手方に求める最低限の要求が何であるか」を、先ずは相互に確認しておくだけでも、或る程度の価値はあるのではないだろうか? とにかく「前進する事」、つまり「何等かの妥協する事」の必要性だけは、お互いに認識しておくべきだ。投げてしまう事は、責任回避以外の何物でもない。