大江健三郎氏が講演会で「原発をやめ、再生可能なエネルギーで電力を作り出していくことを日本人の根本的なモラルにし、現実化したい」と語ったそうだ。その理由として、彼が「脱原発を進める際には年月を提示することが日本人の感受性の上で必要」と語ったことが興味深い。
たぶん大江氏もバカじゃないので、再生可能エネルギーだけで産業が維持できないことぐらい知っているだろう。今のように原発を全面停止することは、火力を増やすことに他ならない。
WHOなどの専門家によれば、石炭火力のリスクは原子力よりはるかに大きく、火力を増やすことは大気汚染と気候変動のリスクを増やし、多くの人命を犠牲にする。彼と同じ講演会で話した小出裕章氏は、その事実を認めた上で「道徳的なエネルギーだけで暮らせばいい。それ以上の経済成長は必要ない」と言いきった。
つまり大江氏が「感受性」に訴えるのは、原発をゼロにすることは不合理なエネルギー政策だと知っているからなのだ。このように嘘をつくことはモラルに反するが、彼の戦術はデマゴーグとしては正しい。確率的な期待値やTWh単位のリスク管理というのは、ほとんどの人には理解できないが、「原発は悪だ」というモラルは、多くの人がもっている感情だからである。
Wilsonによれば、集団内で共通に何かを信じる感情は、4歳児以上のすべての人間に、文化圏を問わず強くみられる。それはおそらく親族を超えた大きな集団を維持するためには「悪を憎む」という信仰が必要だからだろう。
だから最大の視聴者を求めるテレビは、すべての人のもっている勧善懲悪の感情に訴える。大江氏のテクニックもその応用で、飯田哲也氏とよく似ている。私が彼とテレビで討論して感心したのは、自分に都合の悪いデータが出てくると、大声でさえぎって「それは原子力村の提供したデータだ」というように問題をモラルにすりかえることだ。
統計データなんかどうせ大衆にはわからないんだから、彼らがすべて遺伝的にもつ勧善懲悪の感情を刺激すればいい。ユダヤ人などの悪者をつくって人々の「モラル」や「感受性」に訴えるのは、ヒトラーが効果的に使った煽動のテクニックである。大江氏は「ヒトラーのように大衆を煽動したデマゴーグ」として歴史に記憶されるだろう。