ドイツで9月22日、連邦議会選挙が実施されるが、独与党「キリスト教民主同盟」党首のアンゲラ・メルケル首相と野党第1党「社会民主党」首相候補者のペール・シュタインブリュック氏の討論会が1日、独公営放送局と民間放送局の4局共同で開かれた。
メルケル首相に大きく水をあけられている社民党の首相候補者シュタインブリュック氏にとってTV討論会は最後のチャンスということで、同氏は最初からメルケル政権の欧州財政危機への対応、対ギリシャ財政支援などを批判すると共に、貧富の格差拡大に警告を発した。一方、欧州の顔でもあるメルケル首相は「ドイツは欧州財政危機の中でも堅調な経済発展を成し遂げた」とその政策を誇示した。
90分に及ぶ討論会では第1次メルケル政権時代に財務相を務めたシュタインブリュック氏の数字を挙げた詳細な説明には一定の説得力があった。一方、メルケル首相は討論会の最初の20分では明らかに相手側に押されていた。その上、時たま説明が詰まるなど流暢さに欠けていた。最後のチャンスということでやる気満々のシュタインブリュック氏とは好対照で、超多忙のメルケル首相は明らかに疲労感が目立った。独週刊誌シュピーゲルは、シュタインブリュック氏がメルケル首相を数ポイント上回ったと評価していたが、同時に、同氏は選挙戦の流れを変えるほどのビックポイントは上げられなかったことも事実だろう。
当方はテレビの前で両者の討論を聞いたが、番組側の質問は経済問題に集中し、対シリア、エジプト内戦への対応、米国家安全保障局(NAS)の欧州での情報活動問題などは付け足し程度に言及されただけで終わった。国民の最大関心は外交ではなく、欧州経済の行方、雇用問題、年金問題など身近な生活に関係するテーマだからだ。
例えば、統一ドイツの功労者ヘルムート・コール元首相(1982年~1998年)は「少子化問題は欧州社会の最大の問題だ」と発言し、欧州の未来が少子化問題の克服にあると語ったことがあったが、今回の討論会では話題にもならなかった。
ところで、討論会を聞いていると、「われわれが直面している問題は経済問題だけだ」といった印象を受けた。皮肉にいえば、下部構造が上部構造を規定すると主張したカール・マルクスの経済学が息を吹き返しているような錯覚すら覚えたほどだ。
国民経済が衰退すれば、多くの国民は苦労する。貧富の差の拡大が進む一方、若者は職場を失う。その一方、犯罪問題は拡大し、社会の安定は脅かされる。だから、国民の関心が経済問題に集中するのは止む得ないことかもしれない。財布に十分なお金がなかった場合、国民は当然、幸せを感じないだろう。
しかし、人間は3食を堪能できれば幸せを感じる存在ではないこともまた事実だ。幸せな家庭、生甲斐、未来へのビジョンがなければ、国民は方向性を見つけ出せない。特に、価値観の多様な社会に生きる現代社会では一層そうだろう。
ないものねだりかもしれないが、人間の価値観、人生観について国民に話しかける政治家が出てきてもいいのではないか。人間は3食のパンと共に、幸せな家庭、生甲斐を必要としている。
メルケル首相の与党「キリスト教民主同盟」は次第にキリスト教価値観を喪失し、もはや「CDU」ではなく、キリスト教の価値観を有さない「DU」に成り下がったと揶揄されて久しい。同性愛問題や家庭問題で「こうあるべきだ」と叫んだCDU政治家はいなくなった。時勢と政情に流れ、その本来の保守政党としての信条を失ってきた。
労働者の政党、弱者擁護の政党と標榜してきた社民党もその信条に揺れがみえる。同党のゲアハルト・シュレーダー元首相(1998年~2005年)はロシアのプーチン大統領の私設顧問として高額の顧問料を受けるなど、社民党幹部たちの金銭志向傾向が目立つ。シュタインブリュック氏も昨年12月、「連邦首相や大臣、国会議員の報酬は、他の職種に比べて低い」と発言し、批判を受けたばりだ。
メルケル首相と社民党の経済政策はTV討論会で語り合わなくても既にメディアで報じられている。有権者が本当に聞きたいのは、首相や野党指導者の政治信条であり、その世界観ではないか。有権者はパンのみで生きているのではないのだ。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年9月4日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。