「反戦」の意味で味わい深かった『風立ちぬ』 --- 森中 定治

アゴラ

宮崎駿監督の引退が話題を呼んでいますが、彼の最後の作品になるであろうアニメ『風立ちぬ』も、いまだ人気が衰えずロングランです。スタジオジブリの映画は『コクリコ坂から』以来1年半ぶりで、私も観ました。都内の大きな映画館でしたが、夏休みの性もあり待ち合いは若いアベックや女子大生のグループ、子ども連れでごったがえし、この映画もほぼ満席に近い状態でした。


この映画は、先の大戦の日本の戦闘機「零戦」の設計者を描いたものです。零戦は真珠湾攻撃から戦争末期には特攻機として日本の若者の生命を絶った悲しい運命を背負っています。従って、こんな飛行機の設計者をよくも主人公にしたものだとか、戦争への批判や反省がみられないとの評価もあるようです。確かに「戦争はいけません」というような直接のメッセージはないので、単純にそれを求めてこの映画を観た人は、期待外れでそんな評価につながっているのでしょう。

でも、この映画はそうではなく反戦も含んだ味わい深い映画だと思います。映画の素晴らしいところを、以下に3点挙げます。

第1に、この映画はエンターテイメントとして作られているという点です。夏休みで子ども連れが多いからそれに的を合わせてもいるのでしょう。子どもから私のような年寄りまで総ての人が楽しむことができます。別のホールでは米国映画が上映されています。米国のエンターテイメントの映画は沢山あります。シリアスなアクションもの、恋愛もの、コメディーなど様々のジャンルがありますが、その主題(モチーフ)はつまるところ悪(あるいは嫌われ役)と正義(善玉)がでてきて、暴力で闘って最後は正義が勝つというものです。時代、人物がどのような設定であっても、エンターテイメント映画の多くがこのモチーフです。しかしこの「風立ちぬ」に、主人公(彼)が暴力で悪を打ち負かすというところは全くありません。映画の内容は、一生懸命仕事に打ち込んで飛行機を設計する彼と、その彼が若い女性と恋に落ちて結婚するということです。観客を驚かせるような特別の大仕掛けも、悪をやっつける胸のすくようなアクションもありません。それでいて、観客の心を映画へと引き込むのです。余談ですが、アニメだからこそでしょうが、田園や山並み、野原は非常に美しい緑で描かれていました。私は、自然好きですから、この風景描写には心を奪われました。実際、戦前の日本はこのような自然が広がっていたのでしょう。

第2に、彼が日常のなかで人を尊敬する(人を大事にする)ということがはっきり描かれている点です。この映画の最大の魅力がここにあります。好きになった女性に当然ながらアプローチするのですが、彼の様々な行為に相手の女性への尊敬があふれています。彼は女性に無理強いをしません。強引に自分を通すのではなく一歩引きます。これは優柔不断なのではなく、相手への尊敬から出て来ます。この映画は男女の愛を描いたものではなくて、恋人同士の行為のなかに「人間と人間の尊敬」を描いています。人はこれにうたれます。帰りがけに友人が若い女性のグループがこの映画に描かれた男女に感動したといっているのを小耳に挟みました。人間であれば、本来誰もが感動します。子どもも人間の心をもっていますから、もちろん心打たれます。いや寧ろ子どもの方が大人以上に感動するように思います。理解つまり人間の意識に上げることはできません。なんだか分からないけれども心うたれる。そして以後それは物事を判断する心理的な核となって子どもの心の内に育っていくでしょう。これが人間の本来もつ良心に働きかける真の教育であり、だからこそ子ども連れのための良質なエンターテイメントです。

現代の大人は忘れてしまったのです。戦争で人を殺すには、相手をゴキブリや虫けらと見なす必要があります。でなければ、人間は無関係の人を平気で殺すことなどできません。日本と米国の個人と個人、日本と中国の個人と個人、日本と朝鮮の個人と個人がお互い尊敬して接する。ただそれだけのことで戦争を抑止することができます。兵器もお金も入りません。この映画は、人間のもつ本来の感性に基づいて人を育てます。私が「風立ちぬ」を味わい深いというのは、こういうところにあります。

第3に、人間の社会性を強く表現しています。彼は現三菱重工業に就職して、航空機の設計に打ち込みます。愛する妻と一緒に暮らしたいとの気持ちから、上司宅の離れを借りたりあれこれ努力します。むろん彼女も彼と一緒に暮らしたい、彼といつも一緒にいたいと願います。でも、彼女は最後に置き手紙をして、彼の元を去りサナトリウムへ戻ります。男女の愛は二人だけのものつまり直接には私的な利己的なものです。一方、彼が打ち込む航空機の設計は他の人間との係わりのなかにあるもの、社会的なものです。彼女はそれに気がついたというか、知っていた。それで彼の元を去ったのです。半分は利己的な存在、半分は社会的な存在、その合わさったものが人間です。

選挙をすると50%の人が投票所に行きません。私はその大きな理由は、現在を生きる人間が利己性に偏り、社会性をもつ存在であることを忘れたことによると考えます。分かり易く言えば、自分個人に直接に係わるものには強い関心があるけれども、自分に直接係わらないものにはどうでもよいというか、極端に興味が薄れるということです。投票して誰が勝とうとそれは自分に直接の関係はない。ならば、そんなところへ行く必要はない、そんな事に時間を使うなら寝ている方がよいと考えるのです。それが選挙に行かない大きい理由のひとつであると私は考えます。そして、一般社会のいろんな出来事、自分に直接係わらないことは考えなくなるのです。

この利己に偏った現代人に、人間は本来社会性をもっているんだよ! と訴えた映画がこの『風立ちぬ』です。三菱重工業という大メーカーで働く人々、彼の直属の上司も、さらに上の課長も人間味豊かに描かれています。こんな人々が構成する企業であれば、豊かな社会性を本来もっているのです。個人だけではなく、日本を構成する大企業にも、金が儲かるなら何でもするという利己性を半分に抑え、本来もつもう半分の社会性を発揮して欲しい、彼女のように……というメッセージが込められていると私には感じられました。

森中 定治
綾瀬川を愛する会 副代表