2020東京五輪が日本に課した大きな課題

大西 宏

2020東京五輪の決定が、東京にとって、また日本にとっても、明るい話題となり、日本が元気を取り戻す転換点になろうとしています。それはそれで好ましいことですが、同時に大きな課題をつきつけています。オリンピックやパラリンピックを無事開催する、それを成功させるというのは当然でしょうが、それだけで終われば日本にとっては好機を失うだけでなく、信頼も失いかねません。


まず東京開催決定に大きな影響をもたらしたのは、「スポーツの力」が、ハンディキャップを背負う人たち、また被災地の人々に希望や勇気を与えたという点だったと思います。骨肉腫発症により2002年4月に右足膝以下を切断した佐藤真海さんに希望と新たな目標をもたらしたのも「スポーツの力」であり、被災地に多くのアスリートが出向き、被災地の人たち、また子どもたちを勇気づけたのも「スポーツの力」だったという佐藤真海さんのプレゼンテーションが選考会場の人たちの感動を誘いました。このストーリーに感動した方も多かったと思います。
秘策!佐藤真海プレゼンが五輪引き寄せた [日刊スポーツ] – その他スポーツニュース – Number Web – ナンバー :

東京は五輪開催では、ハンディキャップを背負った人たち、また被災地にいわば借りをつくったということです。それを忘れないこと、被災地になんらかの貢献をこれまで以上に行う責務を背負ったということです。忘れれば、日本人はご都合主義の民族だということになってしまいます。

もうひとつは、招致活動を通じて、福島第一原発からの汚染水漏れへの、海外からの懸念の広がりや深さが明らかになりました。しかしこの問題に安倍総理が、汚染水での影響がないこと、完全にコントロール下にあると保証したことが効いたことも言うまでもありません。

しかし、そこまで言ってよいのかという疑問を抱いた人が多かったはずです。「廃炉・汚染水対策関係閣僚等会議」が設置されるということですが、決して容易な問題ではありません。その対策を安倍総理が約束したのですから、こちらも根本的な対策を進め、成果をあげないと嘘をつくことになります。

復興に役立つこと、汚染水問題を解決すること、そのいずれの課題も取り組みが必要なことです。しかしそのどちらも解決方法は難しくとも目標は定めやすい問題です。

これから議論を深めたいのは、なんのための東京五輪かです。2020東京五輪はなにをもって成果とするかです。まだ曖昧さを感じます。開催までに3兆円の経済効果がある、また観光誘致に好影響が生まれ、その効果が持続するといわれていますが、それはいいことだとしても、それで終われば意味は限定的なものになってしまいます。経済効果だけでは開催の意義は十分ではありません。

オリンピックは時代の転換点を象徴するだけのパワーを持っています。1964年に開催された東京五輪は、1956年に発表された経済白書が高らかに「もはや戦後ではない」と記述し、日本が高度成長期を歩み始めた頃に開催されました。オリンピックはたくましく成長する経済の象徴となったのです。それを追うように1988年にソウルオリンピック、2008年に北京オリンピックが開催され、いずれもが、世界のなかでの存在感と経済成長にむかう国民意識を高めてきました。

しかし、もはや日本はそういった途上国の時代を終えています。途上国型の国のカタチで残っているのは、あいかわらず国の統治で強い影響を持つ官僚制度と、その結果としての中央集権体制ぐらいでしょう。

2020東京五輪は成熟した先進国として、どのようにこれからの日本が歩んでいくのかを象徴するイベントにする絶好の機会です。はたしてそんなビジョンを示し、また感じさせる大会にすることできるのかどうかが問われていると思います。

「自信や誇りを取り戻す」ことも大切でしょうが、それではあまりにも志が低く、世界から感動され、共感される日本の国づくりとは程遠いことです。ネトウヨ退治にはいいかもしれませんが、日本に求められているのは先進国にふさわしいビジョンや夢を創造するパワーではないでしょうか。また国民の意識や価値観を転換するパワーだと思います。

夢やビジョン、また新しい価値を創造することは日本の産業にも求められてきていることです。2020東京五輪を、新しい時代を「創造」する時代の象徴となる金字塔としてぜひ成功させていただきたいものです。