近代国家は大きくなりすぎ、タレブのいうフラジャイルな制度になってしまった。財政破綻や金融危機などの問題は、あまりにも複雑でコントロール不可能だ。これから世界の成長の主役になるのは主権国家ではなく、上海、ムンバイ、リオデジャネイロなど1000万人以上の人口を集めるメガシティである。こうした都市は、ダイナミックな競争によってアンチフラジャイルな未来のシステムになるだろう。
国家の形態としてもっとも古く、もっとも効率的なのは都市国家である。世界の一人あたりGDPの上位にもルクセンブルク、香港、シンガポールなどの都市国家が並んでいる。それは軍事的には主権国家に勝てなかったが、現代の戦争においては地上戦は大した問題ではない。
日本は日米同盟でアメリカに国防を「外注」しているので、少なくとも大都市は都市国家としてやっていけるだろう。都市国家に議会は必要ない。シンガポールのように選挙で選ばれた独裁的な市長が決定し、それがいやな人はexitして他の都市に行けばいいので、制度間競争で効率的な都市が生き残る。
欧米の経済的停滞を金融・財政政策で是正できると主張するクルーグマン(著者の論敵)などの経済学者を著者は嘲笑し、そういう政策が一時的に衰退を止めることはできるかもしれないが、問題はもっと深く大きいと論じる。それは西洋文明のエンジンだった国家の劣化なのだ。
これは「見えざる手」が社会の主役だと信じる経済学者の見解とは違うが、歴史的事実である。イギリスを初めとする西洋諸国が、彼らよりはるかに洗練された文明と豊かな富をもっていた中国を追い抜いて世界を経済的に制覇したのは、国家が軍事力で世界を植民地支配したからであって、その逆ではない。資本主義を生んだのは国家の暴力なのだ。
このときイギリスが優位に立った原因は、国債というイノベーションだった。徴税には限界があるが、国債で民間資金を調達し、それによって新大陸やアジアから強奪した富を出資者に高利で返済するシステムを確立したことが、名誉革命の最大の意義である。このとき国債の償還を保証し、恣意的な課税を防ぐ制度が法の支配だった。
したがって近代社会のコアは民主制ではなく法の支配であり、納税者の同意なく課税しないという原則である。バークは、国債は将来世代からの徴税であり、世代間の協同事業であると述べて、その濫用を戒めた。この意味で、国債の規模が欧米や日本でかつてない規模に膨張した現状は、近代国家の原則からの逸脱だ。
問題は財政がかつての中南米のように破綻することではなく、将来世代の可処分所得を大きく浸食することだ。たとえば日本では、将来世代の所得の60%以上は国家に奪われるだろう。このような財政の劣化を覆い隠すため、欧米も日本も中央銀行が「量的緩和」と称して国債をファイナンスしているが、その規模が拡大すればするほど、納税者は将来の増税の不安から消費や投資を抑制する。
だから近代国家の真の危機は不景気やデフレではなく、法の支配が崩壊していることだ。アメリカでは政治家の37%が弁護士出身で、彼らはロビー活動を行なう弁護士と結託して財政を食い物にしている。法の支配は「法律家による支配」に堕落したのだ。日本では、法的根拠もなく原発が止められ、毎年3兆円以上が浪費されている。
これに対して著者の提案するのは、国家に依存しない市民社会を取り戻そうという呼びかけだ。具体的には、教育機関を全面的に民営化して塾のような独立した私立学校にし、それに対する補助は教育バウチャーのような形で学生に与えるシステムだ。こうした試みは、イギリスや北欧で始まっている。