浮世絵で儲けたのはフランス人である

森本 紀行

フランスの絵画の歴史に日本の浮世絵が与えた大きな影響は、良く知られている。どうして浮世絵がフランスに渡ったかというと、陶器の輸出の際に包装紙として使われたからだそうだ。当時の日本では、浮世絵は大量生産されていて、包装紙に再利用するくらい、ありふれたものだったのだろう。ところが、フランスでは、希少なもの、新鮮な美的刺激に富むものとして、珍重されたのだ。


現在の世界の美術界における浮世絵の地位は、外国人が浮世絵を見出したことによって確立したのだ。もちろん、浮世絵を作ったのは日本人である。しかし、浮世絵の価値を作り出したのは、浮世絵を作った日本人ではなく、浮世絵を見出したフランス人だったのだ。

昔の日本人が浮世絵につけた価格は、同時代のフランス人がつけた価格とは、比較にならないくらい安かったと思われる。しかし、現在では、フランス人であろうが、日本人であろうが、何人であろうが、同じ一つの浮世絵については、同じ価格で取引せざるを得ない。もはや、美術品市場は、グローバルに統合されているからだ。

長期にわたって、二つの異なる価値観に基づく価格が、一つの価値観に基づく一つの価格に収斂してきたのだ。その間に、価格の低かった日本から価格の高かった海外へ、大量に浮世絵が流出したのは、理の当然である。それが、交易の本質である。この浮世絵の交易に携わった業者が、それなりの利潤を挙げたであろうことは間違いない。ただし、利潤のほとんど全ては、浮世絵を売った側の日本人にではなく、買った側のフランス人にあったのである。

世界中のナマコを探し続けた中国人、胡椒を求めて世界の海に乗り出した欧州人、その他世界中の人々が、それぞれの立場で、自国の中にない価値を探し続けたことから、国際交易が活発化し、現在のグローバル経済が創出されてきたのである。ナマコも胡椒も、生産地では、たいした価値はなかったのだ。価値は、外から来て価値を見出した外国人が生み出したのである。

浮世絵で儲けたのは、その価値を見出したフランス人の交易業者である。浮世絵の場合と同様に、ナマコや胡椒で儲けたのも、その価値を見出した外国人の交易業者である。古からある全ての交易事業にいて、原理は同じであろう。

現在につながる投資の源流の一つは、古からある交易事業に対する投資である。交易業者は、自己資金だけでは買付代金や用船費をまかなえず、外部資金を必要としたからである。ならば、投資の原点とは、価値を作るものへの投資ではなく、価値を見出すものへの投資なのだ。それはそうだ、儲ける側に投資しなくては、投資にはなるまい。