FRB創設100周年、女性の議長誕生へ ─ イエレン氏に迫る(2) --- 安田 佐和子

アゴラ

女性初のFRB議長として、記念すべき第一号を飾るメドが立ったイエレンFRB副議長。量的緩和(QE)を開始してから、どのような立ち位置だったのでしょうか。当方がまとめてきた過去の記事をもとに、ざっとまとめてみました。ほんの一部ですが、こうしてみると大事な場面で要の仕事をしてきたことが、如実に現れています。よろしければ、ご笑覧下さい。

▽2010年4月5日─QE1終了前〔QE1 : 2008年11月~10年6月〕

米連邦公開市場委員会(FOMC)メンバーの間で、インフレ見解が真っ二つに分かれている。5日付けウォールストリート・ジャーナル(WSJ)紙によると、ニューヨーク連銀のダドリー総裁やコーンFRB副議長の後任と噂されるサンフランシスコ連銀のイエレン総裁は、資源余剰によって経済が圧迫されインフレが低下しており、FRBの支援が必要である証左とみている。一方でフィラデルフィア連銀のプロッサー総裁や前回FOMCで「長きにわたる」低金利政策に反対票を投じたカンザスシティ連銀のホー二グ総裁は流動性供給策と低金利によってインフレ加速を引き起こしかねないと懸念している。

⇒QE1終了以前から、インフレ減速へのリスクを指摘

▽2010年10月4日 ─QE2開始前(QE2 : 2010年11月~11年6月)

マーケット・ニュース・インターナショナル(MNI)の著名Fedウォッチャーであるスティーブ・ベックナー記者は、4日に正式にFRB副議長に就任したイエレン前サンフランシスコ連銀総裁に対し「追加緩和策の台風の目となる」との見方を示した。イエレン氏は今年、副議長候補に指名されたこともあって金融政策に関する発言は控えていたが、市場関係者の間では同氏をハト派と見る向きが多い。ところが同氏が過去にFRB理事として就任した1994~97年を含め、米連邦公開市場委員会(FOMC)での投票記録をみると、これまで20回利上げ賛成票を投じてきたという。

⇒ハト派のイメージが濃厚も、利上げが必要なタイミングでは多数派と歩調を合わせるコンセンサス重視の姿勢示す

1996年には引き締め策を主張し、グリーンスパンFRB議長に退けられた

▽2011年9月19日(オペレーション・ツィスト導入直前)

FOMCメンバーは、低迷する経済と対立が続く協議が混乱を与えかねないと懸念し、インフレを上振れさせずに失業を低下させる戦略につき明白な経済目標を採用するか検討中だ。ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)紙オンライン版が19日、米連邦準備制度理事会(FRB)担当のジョン・ヒルゼンラス記者の署名入りで伝えた。

バーナンキ議長は、フィラデルフィア連銀のプロッサー総裁とシカゴ連銀のエバンス総裁に対し、Fedが経済目標の達成をどのように説明できるかをエレン副議長と協力して精査するよう要請。特に低金利政策を転換する際に、失業率とインフレにおいてどのような変化を施すかが重要な議題となっている。

⇒コミュニケーション戦略を立案する小委員会の取りまとめ役に就任

FOMCを率いるバーナンキ議長の傍に、常に存在感を漂わせるイエレン氏。

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▽2011年10月21日(OT開始後)

イエレンFRB副議長は、タルーロ理事の発言と呼応するように新たな資産買取につき「適切となりうる」と明言した。的緩和策第3弾(QE3)の可能性を排除しないスタンスを打ち出したかたちだ。9月21日に始動を発表した「オペレーション・ツィストは強い成長を支える」ものの、経済には「大いなる下方リスク」があると述べ必要とあれば、追加緩和に踏み切る余地を残している。

⇒早くからQE3の必要性を提唱

▽2012年1月3日(OTは6月に延長、QE3は2012年9月開始)

2011年12月13日に開催したFOMC議事録では、「バランス・シート予想における定性的情報」を盛り込む可能性を点灯。バーナンキ議長はコミュニケーション手段を検討する小委員会(イエレン副議長が委員長、ラスキン理事、2011年投票メンバーだったシカゴ連銀のエバンス総裁にフィラデルフィア連銀のプロッサー総裁)に草稿をまとめるよう、指示した。

⇒コミュニケーション手段だけでなく、追加緩和・出口政策をにらんだバランス・シート戦略も担当


編集部より:この記事は安田佐和子氏のブログ「MY BIG APPLE – NEW YORK -」2013年10月9日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった安田氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方はMY BIG APPLE – NEW YORK –をご覧ください。