中国、元重慶市トップの薄熙来被告の二審の判決が25日に言い渡されるようです。10中8、9、一審の判決とほぼ変わらない判決と見られています。理由は中国の裁判は裁判ではなく政治であるからです。太子党同志である習近平国家主席としては残念な思いもしているでしょうけれど不正を厳しく取り締まるという意味では正しい判断なのかもしれません。
ところで山崎豊子氏の「大地の子」は氏の代表的大作といっても過言ではないでしょう。中国残留孤児に焦点を当て、更に日中合弁の製鉄所建設をストーリーに絡ませ実によく出来た作品でした。この作品の裏には山崎豊子氏が8年もかけて中国を徹底的に調べ上げたという事実と共に山崎氏が執念で胡耀邦総書記との接見への道筋をつけたことが大きかったでしょう。胡耀邦総書記は山崎氏との会談を通じて外国人には見せなかった場所や施設へのアクセスを許可すると同時に多くの情報を与えることに同意しました。山崎氏は後に総書記との会談がなければこの小説は完成しなかったと書にまとめられています。
その胡耀邦氏は現代中国の父、というより中国の実権を握り続けていた鄧小平氏に絶大なる信頼を得ていたものの山崎氏に中国で見せてはいけないものを許可するなどその行動については疑問視されていたかもしれません。そんな胡耀邦氏について「何より違った意見の人を許す面があり、鄧小平はこれを「弱い」と問題視。更に86年からの学生運動があれだけ大きくなったのも胡耀邦が自由を与えすぎたからだと見ていた(エズラヴォーゲル ハーバード大学名誉教授)」という説明は一番フィットする気がします。
胡耀邦氏はそれが理由でその後、あえなく解任され失脚するのですが一方で鄧小平はあれだけの国家、しかも文化大革命後の清算をするに際し冷徹さを見せ続けたことがその指導力に繋がっていると考えられています。つまり、習近平国家主席のとる薄熙来被告への態度もまさにこの冷徹な裁きこそが共産一党独裁主義を貫く基本であると見ることが出来るかもしれません。
一方で薄熙来被告に対してディールがあるとすればほかの大物共産党委員の収賄を裁判の時に公表するな、ということではなかったかと思います。薄熙来被告にしてみれば「何で俺だけ?」と思っているでしょう。だからこそ、裁判の判決について温情を含めた「その代わり…」というささやきは当初あったのかもしれません。しかし、ささやかれた「ディール」が約束どおりに実行される国だとも素直には取れません。そのあたりの反乱は25日の裁判の際、起こるのでしょうか? 薄熙来被告が一審の直後、叫んでいたという部分は音が消され、画像は判らなくなっていますが、「裏切られた」という気持ちがそこにあるのならわずかな可能性ですが、「倍返し」があるかもしれません。
中国共産党が賄賂などの問題を通じて腐敗しているとされながらも表面は強面を貫き通すというスタイルは鄧小平氏も習近平氏も同じかもしれません。この裁判を20年、50年後に歴史がどう説明するか、ある意味注目されるべき事例になるのではないでしょうか? 少なくともいえるのは山崎豊子氏はそんな胡耀邦氏と出会えたからこそあの大作が出来たという幸運さを持っていたともいえるのでしょう。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年10月22日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。