「大統領は既にご存知と思いますが」 --- 長谷川 良

アゴラ

独週刊誌シュピーゲル電子版(10月28日)には早速、面白い話が出ていた。米国家安全保障局(NSA)がメルケル独首相の携帯電話を盗聴していたことが発覚した後、メルケル首相とオバマ米大統領が会談した。両首脳間で欧州単一通貨ユーロの安定化問題が議題となった。メルケル首相は欧州の立場を説明する前に思い出したように、「大統領は既にご存知だと思いますが……」と切り出したという。メルケル首相は米大統領にわざわざ話さなくても、大統領はNSAから独政府の立場に関する情報を入手済みだという話だ。


冗談はさておき、首相の携帯電話が盗聴されたことが判明すると、与党キリスト教民主同盟(CDU)から強い抗議の声が上がっている。欧州連合(EU)と米国間で協議中の「自由貿易協定」交渉を無期限に延期すべきだという声も聞かれる。ハンス=ペーター・フリードリヒ独内相は同盟国へのスパイ行動を禁止する法案の採択を求めている、といった具合だ。現時点ではっきりしていることは、独政府が米国側の説明を聞くために特別使節団をワシントンに派遣することだけだ。

興味深い点は米国内の反応だ。米メディアもNSAの独首相盗聴工作について報じているが、欧州メディアのようにはヒートしていない。米国内では、NSAの民間人盗聴問題で抗議する数百人のデモがあったぐらいだ。

米下院の共和党議員ペーター・キング氏は報道番組の中で、「NSAの活動は米国民だけではなく、フランス国民、ドイツ国民をもテロから守ってきた」と説明、欧州側の盗聴批判に不満を表明している。同議員は「ドイツ企業はイラン、イラク、北朝鮮と商談を行ってきた。米国内多発テロ事件(2001年9月11日)ではイスラム過激テロリストがハンブルクから米国に入国したのだ」と、テロ事件での欧州側の責任を追及している。

フランス、ドイツなど欧州の情報機関は過去、NSAからテロ情報を入手してイスラム過激派のテロ計画を事前に防止したことがある。NSAは既に欧州諸国の情報機関と密接に連携している。それだけに、欧州側はNSAの盗聴工作を一方的に批判できない弱みがある。

EUと米国との自由貿易協定は、ドイツ企業にとっても重要な協定だ。協定を通じて雇用拡大も期待できる。メルケル首相の携帯電話が盗聴されていたからと言って、協定締結を延期することはドイツ経済にとっても大きな痛手だ。

ここまで考えていくと、メルケル独政府が実際履行できる対米制裁は口頭による遺憾の表明だけではないか。今回のメルケル首相盗聴問題がメディアで大きく報道されなかったら、米独両国は内々で話し合い、外交上の決着がついていたかもしれない。しかし、報道された現在、ドイツ側も何らかの対米制裁を取らざるを得なくなったわけだ。メルケル首相の盗聴問題は米国以上にドイツ側に負担となってきた。

他国の情報機関が自身の携帯電話を盗聴していたということは気分は悪いが、自国の情報機関も他国の政府関係者や要人を盗聴しているのだから、あまり叫んでも利点は少ない。

NSA盗聴工作の犠牲者・メルケル首相は、こまめにSNSを送信する習慣を慎み、携帯電話で話す時は極力、機密情報は話さない、といった可能な対策を取ることで今回の盗聴騒ぎの幕を閉じるべきだろう。情報機関の工作問題を政治議題として協議することは賢明でない。両国の関係を不必要に険悪化させるだけだ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年10月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。