「みのもんた」騒動と日本マスコミの「ムラ社会」 --- 植之原 雄二

アゴラ

「みのもんた」こと、御法川法男さんの御子息の不祥事に伴う世間のバッシングについて、日本のムラ社会の象徴ととらえる論調が見られるが、これは一面的と言わざるを得ない。身内の不祥事が原因による、処分とも見える人事異動等は、珍しいことではない。例えば、学校の先生に、身内の不祥事が原因とみられる処分が下ることはよくある。


これは日本のムラ社会といった漠然としたことが原因ではなく、この先生の人格・能力に関わらず、身内の不祥事が原因で学校・学級運営が困難になりかねないからである。そうなると、エンドユーザーである学童・生徒に多大な迷惑をかける。当の先生としては、自分の正当性を主張したいであろうが、そんな子供じみたことに拘ると、本当に学童・生徒に迷惑をかけ、その結果、強烈なバッシングが生じ、取り返しのつかないことになる。

この場合は、その先生を研修所等に異動させ、運営に支障をきたさないと思われる時期(ほとぼりが冷めたころ)に教育現場に復帰させるのがスマートなやり方である。その先生に行政の能力があれば、それを見出されて、教育・行政指導も任されるかもしれない。そうなると、憎さ百倍だったはずの身内に手を合わせて感謝することにもなる。トラブルは成長の糧である。

身内の犯罪が原因で、学校・学級運営が困難になるのは、日本のムラ社会が改善されて解決できるものではない。改善されても違う問題が生じる。例えば、外国では、身内の不祥事は気にしないが、宗教の違いで学校・学級運営が困難になることもありうる。日本人から見れば、バカバカしいかぎりである。このように特定の社会・文化構造が改まれば解決するものではない。トラブルのタネは尽きないのである。

御法川さんの事例が、これに相当するかどうかよく考える必要がある。御子息の不祥事のために、報道バラエティの存在そのものを問われているかである。筆者は、学校・学級運営に比べれば報道バラエティなど無くなっても問題なく御子息の不祥事など問題にするほうがどうかしている、と思っている。

ただし、テレビ局としては、そうもいかないことは理解できる。御子息の不祥事に関わらず、かねがね降板していただきたいと思っていたが遠慮していた。これを機会に降板してもらおうということかもしれない。それにも関わらず、御法川さんが報道バラエティに拘るので、バッシングが生じているのかもしれない。

御法川さんが演じる「みのもんた」の番組中の当意即妙の対応は、見事なもので売れる芸であることは誰もが認めるところである。ただし、その対応は内容の正しさよりも、出すタイミング等の話法にある。したがって、内容の正確さを評価する人は少ないだろう。クライアントとしてはそれでよいのであろうが、このような単純な手法が今後も有効かは疑問である。

具体例を紹介する。2010年(3.11以前)、ノーベル賞受賞者に「私は特許をとらなかった。」との自慢げなコメントがあった。ノーベル賞は発見に与えられるもので、発見には特許権を与えることができないのは常識である。ノーベル賞受賞者が非常識であることに全く問題ない。こんな子供じみたコメントを軽々しく扱うマスコミが問題なのである。

それに対して、「みのもんた」が即座に「それは、素晴らしいことですね。」と返していたのには呆れてしまった。それなら、著作権に煩いマスコミは何なのだと言いたくなる。ここでは、御法川さんの当意即妙の才が逆効果にしかならない。こういうことを言うと、「みのもんた」はタレントだから台本どおり喋っているだけで、一々文句をつけるのはバカバカしいとなる。当時は、それでよかった。それでも、政府がアンチパテント政策に変るのかと危惧した特許事務所は多かった。

報道バラエティで「みのもんた」の扱う題材は、いじめから原発まで多岐にわたる。御法川さんが、これらの全てに精通できるはずもない。個々の題材のコメントは、表現としては気が効いているように見えても、個々の専門家に言わせると特許の例のようにバカバカしいかぎりとなる。そうなると、自分の専門以外のコメントもバカバカしいと判断せざるをえなくなり、番組の価値は全く無いことになりかねない。

「みのもんた」は、アベノミクスや原発にも当意即妙のコメントをしている。現在、日本のおかれている状況を見ると、これらは、報道バラエティの当意即妙のコメントで済ますには重過ぎる問題である。アベノミクスのような経済問題は非常に難しいので、ひとまずおこう。反原発で意見を表明するからには、せめて放射線取扱主任者試験に合格してからにして欲しいものだ。

しかし、これを御法川さんに要求するのは筋違いである。クライアントに要求し、「みのもんた」というキャラクターに反映してもらわなければならない。脚本を用意して芝居は出来ようが、それでは当意即妙なコメントなど無理である。逆に「みのもんた」を毀してしまいそうな気がする。

週刊誌等を読むと、御法川さんは報道バラエティに未練があるようだ。何が悲しくて、どうでもよい中途半端な報道バラエティに取り組みたがるのか、理解に苦しむ。政治家を目指すという噂もある。それも結構であるが、止めたほうがよい。政治は一人ではできない。ろくでなしの悪人が群がり、万人に迷惑をかけかねない。その結果、御家族にもっと大きな迷惑をかけかねない。「加東茶」や「志村けん」のように、もっと軽妙洒脱で罪の無い番組を担当されたほうが、御法川さんの独壇場である「みのもんた」というキャラクターを活かすことができるのではないか。筆者は、彼らのドタバタ劇は報道バラエティよりも遥かに価値があると思っている。

御法川さんが報道バラエティに拘りすぎれば、最初に紹介した事例の、身内が不祥事をおこした先生が自分の正当性に拘りすぎることと似てくる。そうなると、姑息なムラ社会的バッシングを受けるのも当然である。これは出る杭を打っているのではなく、出方を間違えた杭を打ち直していると見ることもできる。不祥事を起した御子息に手を合わせて感謝する状態に早くなって欲しいものである。

「みのもんた」降板とバッシングの理由が、以上に述べた理由ではなく、ムラ社会的幼稚な嫌がらせならば、日本ではなく日本マスコミのムラ社会の問題であって、これは早急に改めるべきである。しかし、日本のマスコミがそこまで幼稚とは思いたくない。マスコミにも筆者の意見と同じ方は多いと思うのだが。

植之原 雄二
無職(デイトレーダー)